三門の西側には、国の重要文化財に指定されている東司(とうす)があります。
東司とは便所のことであり、俗に百間便所「百雪隠(ひゃくせっちん)」と称し、禅堂の横に必ず置かれています。
勿論、現在は使用されていません。
東司とは便所のことであり、俗に百間便所「百雪隠(ひゃくせっちん)」と称し、禅堂の横に必ず置かれています。
勿論、現在は使用されていません。
室町時代前期に再建されたもので、禅宗の寺院としては、日本最大・最古のもので、現存する唯一の遺構です。
覗いて見ると、土間に幾つもの穴が見られます。
当時は、大便用、小便用、子供用と場所が分けられ、間仕切りが行われていました。
手洗い用の壺も置かれ、冬季には湯を沸かし、濡れた手巾を乾かす焙炉(ほいろ)も設けられていました。
東司使用の作法も定められ、用便さえも修行の一つとされました。
手洗い用の壺も置かれ、冬季には湯を沸かし、濡れた手巾を乾かす焙炉(ほいろ)も設けられていました。
東司使用の作法も定められ、用便さえも修行の一つとされました。
また、当時の排出物は堆肥肥料となって京野菜を育て、寺院には収入源になっていました。
禅堂は、室町時代の貞和3年(1347)に再建された日本最古のもので、国の重要文化財に指定されています。
南北約42m、東西約22mあり日本最大の禅堂で、かって400人以上の僧が修行し、僧堂とも呼ばれました。
修行僧である雲水が、座禅だけでなく寝食も行う修行道場です。
南北約42m、東西約22mあり日本最大の禅堂で、かって400人以上の僧が修行し、僧堂とも呼ばれました。
修行僧である雲水が、座禅だけでなく寝食も行う修行道場です。
禅堂の北側に殿鐘楼があります。
この建物は、室町時代後期のもので、
この建物は、室町時代後期のもので、
漆喰の壁はまだ新しさが窺えますので、近年塗り替えられたものと思われます。
廃寺となった西寺の銅鐘を、九条道家が寄進したと伝えられています。
平安時代初期かそれ以前に鋳造されたものと考察され、国の重要文化財に指定され、現在は収蔵庫で保管されています。
廃寺となった西寺の銅鐘を、九条道家が寄進したと伝えられています。
平安時代初期かそれ以前に鋳造されたものと考察され、国の重要文化財に指定され、現在は収蔵庫で保管されています。
現在、鐘楼にある殿鐘はレプリカです。
殿鐘と梵鐘の違いは、口径一尺八寸
(約54.5cm)以上のものを梵鐘とされ、それ以下の小型のものを殿鐘や半鐘と呼ばれる、とのことです。
通天橋へ向かいます。
通天橋は、春屋妙葩(しゅんおくみょうは)が天授6年(1380)に、谷を渡る労苦から僧を救うため架けたと伝わります。
通天橋は、春屋妙葩(しゅんおくみょうは)が天授6年(1380)に、谷を渡る労苦から僧を救うため架けたと伝わります。
昭和34年の台風で崩壊しましたが、
2年後に再建され、橋脚部分は鉄筋コンクリートで強化されました。
通天橋の中間には、通天台が設けられ、橋上から洗玉澗(せんぎょくかん)を堪能できます。
新緑や紅葉の季節なら、より良いでしょうが、訪れる人も少ない今ならではの感じるものがあります。
新緑や紅葉の季節なら、より良いでしょうが、訪れる人も少ない今ならではの感じるものがあります。
通天橋から方丈を望む。
通天橋を右に折れ、開山堂に向かいます。
開山堂への楼門の手前から方丈を望む。
開山堂への楼門の手前から方丈を望む。
開山堂への楼門をくぐると、参道の右側には池と、斜面に沿って築山の庭園が築かれています。
開山堂は、聖一国師が祀られ、「常楽庵」の扁額が掛かっています。
聖一国師こと円爾弁円(えんにべんねん)は、天皇より初めて国師号を贈られた禅僧です。
国師とは、国の民の師あるいは国王の師という意味で高僧につけられた尊称のことです。
摂政関白・九條道家に都に迎えられ、
聖一国師こと円爾弁円(えんにべんねん)は、天皇より初めて国師号を贈られた禅僧です。
国師とは、国の民の師あるいは国王の師という意味で高僧につけられた尊称のことです。
摂政関白・九條道家に都に迎えられ、
東福寺を開山しました。
常楽庵は、円爾像を安置する開山堂とその手前の昭堂を中心とした一画を指します。
昭堂とは禅宗の寺院で、祖師の像や位牌を安置するところで、享堂(きょうどう)ともいわれます。
昭堂とは禅宗の寺院で、祖師の像や位牌を安置するところで、享堂(きょうどう)ともいわれます。
文政2年(1819)焼失後、同9年(1826)までに再建されました。
昭堂の中央部分は2階建の楼閣となっていて、伝衣閣(でんねかく)と称します。
昭堂の中央部分は2階建の楼閣となっていて、伝衣閣(でんねかく)と称します。
客殿や庫裏は特に「普門院」と呼称され、かつて十刹の一つに数えられていた名刹「普門寺」の名残を残しています。
普門院の前は、市松模様の枯山水の庭園です。
普門院の前に座り、庭園を眺めていると「洗心」という言葉が実感できるようです。
普門院の前から楼門を望む。
続く