伊勢神宮参拝の日帰りバスツアーに参加しました。
京都駅八条口を8:20に出発、名神高速から新名神に入り、
京都駅八条口を8:20に出発、名神高速から新名神に入り、
土山サービスエリアで20分の休憩をはさみ、11時前に二見ショッピングプラザの
駐車場に到着しました。
ショッピングプラザの中を通って徒歩で二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)
ショッピングプラザの中を通って徒歩で二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)
に向かいます。
まず、目に入ったのが、伊勢志摩国立公園 縁結びの歌碑です。
「お伊勢まいりに みそめたあなた むすぶ緑の夫婦岩」舘まさお 作
まず、目に入ったのが、伊勢志摩国立公園 縁結びの歌碑です。
「お伊勢まいりに みそめたあなた むすぶ緑の夫婦岩」舘まさお 作
四條八十 補作とあります。
当日は、バスの移動中に小雨がパラつきましたが到着後、
当日は、バスの移動中に小雨がパラつきましたが到着後、
雨の心配は無くなりましたが、冷たい強い風で海は荒れていました。
ショッピングプラザからの参道は、東参道と呼ばれているそうで、
朱の鳥居が建っています。
古来、伊勢神宮に参拝する前、また、祭典に奉仕する前には、
清き渚と称される二見浦で禊(沐浴)を行うのが慣わしでした。
現代ではそれに代わるものとして、二見興玉神社で無垢塩草(むくしおくさ)での
現代ではそれに代わるものとして、二見興玉神社で無垢塩草(むくしおくさ)での
祓い清めを受けることができます。
但し、玉串料5,000円と20分ほどかかるようですから、
但し、玉串料5,000円と20分ほどかかるようですから、
略式で200円で「無垢塩草」を購入して胸元に入れ、
神宮を参拝する方法をとります。
無垢塩草は、夫婦岩の沖合700メートル先に鎮まる興玉神石(おきたましんせき)
より採取した藻草を天日に干して「祓いの具」としたものです。
興玉神石は、宝暦年間に発生した東海・南海地震で沈んでしまいました。
石の大きさは東西216m、南北108mとされ、「興玉」とは、
興玉神石は、宝暦年間に発生した東海・南海地震で沈んでしまいました。
石の大きさは東西216m、南北108mとされ、「興玉」とは、
とも伝わる猿田彦大神縁りの霊石です。
倭姫命(やまとひめのみこと)は天照大神を祭祀する地を求め、
伊勢志摩地域では最も四神相応(清浄な海、川、山、大道が揃った)の地に近い
二見ヶ浦で、船を泊め興玉神石を敬拝して夫婦岩に注連縄を張り、
興玉神石の遙拝所としました。
夫婦岩は、日の大神(天照大神)と興玉神石を拝むための鳥居の役目を
果たしています。
男岩(おいわ)と女岩(めいわ)を結ぶ大注連縄は、「結界の縄」と称され、
大注連縄の向こうを常世神(とこよのかみ)が太平洋の彼方から寄りつく
聖なる場所、手前を俗世という隔たりを持ち張られています。
夫婦岩の大きさは、男岩が高さ9m、女岩が高さ4mで、大注連縄の長さは
夫婦岩の大きさは、男岩が高さ9m、女岩が高さ4mで、大注連縄の長さは
35mあり、男岩に16m、女岩に10m巻かれ、9mが間に張られています。
大注連縄は、5月5日、9月5日、12月中旬の土・日曜日に張替神事が行われます。
大注連縄は、5月5日、9月5日、12月中旬の土・日曜日に張替神事が行われます。
夫婦岩(めおといわ)は、夏至の前後に夫婦岩の間からの
御来光を拝むことができます。
夫婦岩の横の岩には、屏風岩、烏帽子岩、獅子岩と名付けられています。
烏帽子岩は近年、波に削られカエルの姿に似てきたことからカエル岩と
改めたいようです。
この角度からは、頷けるような気もします。
この角度からは、頷けるような気もします。
東参道を進むと龍宮社があります。
龍宮社は、二見興玉神社の境内社で、海の守り神・綿津見大神
(わたつみのおおかみ)を祭神としています。
寛政4年(1792)に発生した大津波により、付近の集落が壊滅的な打撃を受けたため、犠牲者の追善供養と海の安全を願い、五十鈴川の河口に龍神を勧請したのが
寛政4年(1792)に発生した大津波により、付近の集落が壊滅的な打撃を受けたため、犠牲者の追善供養と海の安全を願い、五十鈴川の河口に龍神を勧請したのが
始まりとされています。
その後、五十鈴川河口の埋め立てや護岸工事のため、昭和13年(1938)に現在地に
その後、五十鈴川河口の埋め立てや護岸工事のため、昭和13年(1938)に現在地に
遷座し、龍宮社と称されました。
現在の社殿は、昭和46年(1971)に造営されました。
手水舎や参道には沢山のカエルの像が置かれています。
カエルは、猿田彦大神の神使いとされ、「無事帰る」や「貸した物が返る」などの
カエルは、猿田彦大神の神使いとされ、「無事帰る」や「貸した物が返る」などの
御利益を受けられた方々が献納されたものです。
契りの松
江戸末期の伊勢詣でが最も賑わった頃、阿波国(徳島県)から訪れた若い男女が、
江戸末期の伊勢詣でが最も賑わった頃、阿波国(徳島県)から訪れた若い男女が、
二見ヶ浦で禊をし、着物を松の木に掛けて結び、夫婦の契りと子孫繁栄を
祈願したことから「契りの松」と呼ばれています。
昭和28年の台風で松の木は流失しましたが、平成3年に復活されました。
昭和28年の台風で松の木は流失しましたが、平成3年に復活されました。
二見興玉神社は、明治43年(1910)に猿田彦大神を祀る興玉社(おきたましゃ)と
宇迦御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を祀る三宮神社(さんぐうじんじゃ)を
合祀したもので、その際に二見興玉神社に改称されました。
天平年間(729~748)、僧・行基が興玉神の本地垂迹として太江寺(たいこうじ)を創建し、境内に興玉社を建てて鎮守社とし、後に現在の二見浦へと遷座しました。
太江寺には、元興玉社が現在でも祀られています。
太江寺には、元興玉社が現在でも祀られています。
三宮神社は、元は現社境内の天の岩屋の中に祀られていましたが、
文禄年間(1593~1596)に岩屋の外に移され、明治43年(1910)に
興玉社本殿に合祀されました。
古い参詣記には三狐(さんぐ)神社などとも記されています。
祭神の猿田彦大神は天孫降臨の際に高天原と豊葦原中津国の間の道案内を
務めたことから、「道開き(導き)の神」といわれています。
宇迦御魂大神は、伏見稲荷大社の主祭神であり、名前の「ウカ」は
宇迦御魂大神は、伏見稲荷大社の主祭神であり、名前の「ウカ」は
穀物・食物の意味で、穀物の神であります。
二見興玉神社は、旧社格は村社でしたが、現在は神社本庁の別表神社に
列せられています。
三宮神社の遺跡と伝わり「天の岩屋」と称される岩窟。
JR二見浦駅からの参道まで出て、ショッピングプラザまで戻ります。
ショッピングプラザ内には、食堂はあったものの弁当になりそうなものは
見当たりませんでした。
仕方がないので、ショッピングプラザの駐車場に設けられた水族館のトドを
仕方がないので、ショッピングプラザの駐車場に設けられた水族館のトドを
見て過ごしました。
11時40分、バスで外宮へ向かいます。
続く
11時40分、バスで外宮へ向かいます。
続く