近江鉄道ミュージアムが平成30年(2018)12月8日で閉館されるため、
残されている主に機関車を撮っておこうと思い向かいました。
京都駅発9:00発の新快速に乗車、9:49に彦根駅に到着しました。
10時から開場されますが、既に長蛇の列ができており、当然、
京都駅発9:00発の新快速に乗車、9:49に彦根駅に到着しました。
10時から開場されますが、既に長蛇の列ができており、当然、
先着300名に配られる「来場記念ポストカード」は入手できませんでした。
当日は12:00から部品も販売されるため、開場後は販売会場である
資料館に長蛇の列が移りました。
パンタグラフは売り物ではないようです。
近江鉄道は明治29年(1896)6月16日に設立された、
滋賀県で最も古い私営の鉄道会社です。
同年9月から建設工事が始まり、明治31年(1989)に彦根~愛知川間が
同年9月から建設工事が始まり、明治31年(1989)に彦根~愛知川間が
開通し、開業されました。
明治33年(1900)には貴生川まで延伸され、大正3年(1914)3月8日には
明治33年(1900)には貴生川まで延伸され、大正3年(1914)3月8日には
多賀線が開業されました。
昭和6年(1931)3月15日に米原~彦根間が開業し本線が全通しました。
昭和19年(1944)に八日市鉄道株式会社を合併しました。
大正2年(1913)に新八幡駅(現在の近江八幡駅)と八日市口駅
昭和6年(1931)3月15日に米原~彦根間が開業し本線が全通しました。
昭和19年(1944)に八日市鉄道株式会社を合併しました。
大正2年(1913)に新八幡駅(現在の近江八幡駅)と八日市口駅
(現在の新八日市駅)間で開業された湖南鉄道は、昭和2年(1927)に
琵琶湖鉄道汽船と合併しましたが、昭和4年(1929)に
琵琶湖鉄道汽船は京阪電気鉄道に合併されました。
その際、旧湖南鉄道部分は分離され、
八日市鉄道として発足することになりました。
かって、神崎郡八日市町沖野ヶ原(現在の東近江市沖野)に
陸軍の飛行場があり、昭和5年(1930)には新八日市駅から
飛行場駅(後に御園駅に改称)まで開通し、
飛行場への物資や兵員の輸送に使われました。
この路線は永源寺がある山上(現東近江市山上町)まで線路敷設の
この路線は永源寺がある山上(現東近江市山上町)まで線路敷設の
免許を受けていたのですが、計画の遅れなどから
昭和10年(1935)6月に敷設免許が失効しました。
戦後、飛行場が閉鎖されると物資や人の輸送量が激減し、
戦後、飛行場が閉鎖されると物資や人の輸送量が激減し、
昭和23年(1948)8月1日に新八日市駅~御園駅間の運行が休止され、
昭和39年(1964)9月24日に廃止が認可されました。
ED31 3
ED31 4
「ED31 3」及び「ED31 4」は、伊那電気鉄道
(現在のJR東海飯田線の一部)が大正12年(1923)に新製した
直流用電気機関車で、当初は「デキ1形」と称され、6両が製造されました。
その後、伊那電気鉄道は戦時買収による国有化に伴い、
その後、伊那電気鉄道は戦時買収による国有化に伴い、
「デキ1形」は国鉄(当時の鉄道省)籍へ編入され、
戦後「ED31形」と改番されました。
天竜峡以北の飯田線で使用されていたのですが、
天竜峡以北の飯田線で使用されていたのですが、
昭和30年(1955)~昭和31年(1956)に全車が除籍され、
「ED31 3」~「ED31 5」の3両が近江鉄道に譲渡されました。
その後、西武鉄道に譲渡された「ED31 1」~「ED31 2」の2両も
その後、西武鉄道に譲渡された「ED31 1」~「ED31 2」の2両も
近江鉄道に移されましたが、平成2年(1990)に「ED31 5」、
平成16年(2004)に「ED31 1」と「ED31 2」が廃車されました。
現存する「ED31 3」と「ED31 4」ですが、「ED31 4」は
現存する「ED31 3」と「ED31 4」ですが、「ED31 4」は
機械の故障で休車となり、「ED31 3」は車籍を保持していますが、
ATSの装備が困難などの理由から、
事実上本線走行は不可能な状態にあります。
「ロコ1100」は昭和5年(1930)6月16に阪和天王寺~阪和東和歌山で
開業した阪和電気鉄道が、昭和5年(1930)に天王寺駅構内での国鉄との
貨車授受作業に当たるために製造された機関車で
この1両のみが製造されました。
しかし、阪和電気鉄道は昭和15年(1940)12月1日に南海鉄道に吸収合併され、
しかし、阪和電気鉄道は昭和15年(1940)12月1日に南海鉄道に吸収合併され、
更に昭和19年(1944)5月1日には戦時買収により国有化され、
国有鉄道阪和線となりました。
戦後天王寺駅での貨車の授受が不要となったことから、近江鉄道に
戦後天王寺駅での貨車の授受が不要となったことから、近江鉄道に
譲渡されましたが、現在は車籍は無く本線走行はできません。
ED14 1
ED14 2
ED14 4
「ED14」電気機関車はアメリカGE社製で、
大正15年(1926)に鉄道省により4両が輸入されました。
当初は東海道線の貨物輸送などに使われていましたが、
当初は東海道線の貨物輸送などに使われていましたが、
昭和5年(1930)に大型機の登場で甲府機関区に移り、
戦後は一時豊橋機関区に移り、飯田線で運用されていました。
昭和25年(1950)に作並機関区に移された後、昭和35年(1960)に
昭和25年(1950)に作並機関区に移された後、昭和35年(1960)に
4両とも休車となり、2・3号機が近江鉄道へ譲渡されました。
1・4号機は再び仙山線で使用されましたが、
1・4号機は再び仙山線で使用されましたが、
昭和41年(1966)に除籍され、近江鉄道へ譲渡されました。
近江鉄道に譲渡された機関車は主に石灰石の輸送に使われていましたが、
近江鉄道に譲渡された機関車は主に石灰石の輸送に使われていましたが、
昭和63年(1988)までに貨物輸送が廃止され、
構内の入れ替えなどに時折使われるにとどまりました。
ATSの装備が困難な点などから、本線上を走ることは不可能な状態です。
4号機は国鉄時代の茶色の塗装に復元されています。
残念ながら2号機は平成31年(2019)1月28日の夜から未明にかけて、
ATSの装備が困難な点などから、本線上を走ることは不可能な状態です。
4号機は国鉄時代の茶色の塗装に復元されています。
残念ながら2号機は平成31年(2019)1月28日の夜から未明にかけて、
解体のため運び出されたそうです。
貨車のワ34形(ワ34・ワ35)は大正12年(1923)に製造された
12t積みの有蓋車で、最盛期にはワ34~ワ39の6両が在籍していました。
当初は木製でしたが昭和35年(1960)に鋼体化されました。
当初は木製でしたが昭和35年(1960)に鋼体化されました。
しかし、ワ34の屋根にはガーランド式のベンチレータが残され、
木製車時代の貫通式扉が引き継がれています。
現在は救援者代用として残され、車内には搭載機材一覧が記載されています。
現在は救援者代用として残され、車内には搭載機材一覧が記載されています。
チ10形6.35t積みレール運搬車は、平成20年(2008)に廃車となった
500系電車の505編成を改造して2両製造されました。
走行装置や連結器は台枠ごと流用され、
走行装置や連結器は台枠ごと流用され、
レール昇降用のチェーンブロックも装備されています。
ホキ10形は昭和60年(1985)に彦根工場で新造された30t積みの
バラスト運搬用のホッパ車で、3両在籍しています。
2軸貨車のチ1形は大正12年(1923)に製造された12t積みの長物車で、
末期はチ10形が製造されるまでレールの運搬などにも使用されました。
近江鉄道ミュージアムの入口付近には「ほほえみパーク号」が停車しています。
500系電車を改造し、彦根駅東口前にある保育園(ほほえみ園)の
500系電車を改造し、彦根駅東口前にある保育園(ほほえみ園)の
開園1周年を記念して保育施設に改装したものです。
500系電車は昭和44年(1969)から昭和58年(1983)にかけて自社工場で
500系電車は昭和44年(1969)から昭和58年(1983)にかけて自社工場で
6編成12両が製造されましたが、車体のみが新造され、
台車や主電動機をはじめとした機器類は廃車発生品を転用したため
名義上は改造車両とされています。
非冷房車であったため、平成12年(2000)から800系への入れ替えが行われ、
非冷房車であったため、平成12年(2000)から800系への入れ替えが行われ、
平成23年(2011)頃には全て廃車となりました。
ワイン電車2018に使われた車両は800系電車で、西武鉄道の
413Fを譲り受け、彦根工場で改造されて
平成14年(2002)から運用されています。
近江鉄道は昭和18年(1943)に西武グループの傘下に入り、
近江鉄道は昭和18年(1943)に西武グループの傘下に入り、
平成28年(2016)2月29日には西武鉄道の完全子会社となりました。
主力の車両は西武鉄道の中古車両を改造して使用されています。
近江鉄道は平成30年(2018)6月11日に彦根~愛知川間、
7月24日に愛知川~八日市間の開業120年を迎えました。
記念のヘッドマークを付けた車両は西武鉄道の415Fを譲り受け、
記念のヘッドマークを付けた車両は西武鉄道の415Fを譲り受け、
改造の後、平成11年(1999)から運用されています。
220系電車は両運転台の電車で、平成3年(1991)から平成8年(1996)までの
6年間にわたって、彦根工場で6両製造されました。
本線・八日市駅~貴生川駅間は運行経費削減のため、
本線・八日市駅~貴生川駅間は運行経費削減のため、
1往復を除きレールバスLE10形で運用されていました。
しかし、LE10形は二軸車で収容能力も小さかった(定員70名)ことから、
しかし、LE10形は二軸車で収容能力も小さかった(定員70名)ことから、
ラッシュ時には2両連結での運用となり、
経費削減の効果が削がれることとなりました。
そこで、定員102名の220系が造られることになり、
そこで、定員102名の220系が造られることになり、
様々な部品を流用して新造されました。
226は平成8年(1996)3月31日にモハ100形103の車籍・機器と
226は平成8年(1996)3月31日にモハ100形103の車籍・機器と
西武モハ741の部品を利用して竣工し、
平成27年(2015)3月限りで定期運用から外されました。
大型のスノープラウが装備されており、冬季は雪かき車として、
また、工事列車を牽引する牽引車として、
ホキ等の貨車と連結して使われています。
手前の西武ライオンズの「レオ」が描かれた223は、
モハ100形101の車籍・機器と西武クハ1741の部品を利用して、
平成5年(1993)6月18日に竣工しました。
後方の820系電車は西武鉄道の429Fが改造され、
後方の820系電車は西武鉄道の429Fが改造され、
平成9年(1997)8月から運用されていました。
「水色いちばん-びわ湖」とラッピングされた220系電車。
モハ100形102の車籍・機器と西武クハ1740の部品を利用して、
モハ100形102の車籍・機器と西武クハ1740の部品を利用して、
平成6年(1994)5月24日に竣工されました。
車籍上では大正3年(1914)と、最も古い車両になります。
車籍上では大正3年(1914)と、最も古い車両になります。
車庫横に停車していた700系の「あかね号」は、近江鉄道開業100周年と
八日市駅の新駅舎完成を記念して、平成10年(1998)5月12日に竣工しました。
西武401系電車をベースに1年がかりの改造工事を経て、
西武401系電車をベースに1年がかりの改造工事を経て、
八日市駅の改築竣工記念式に合わせた同年6月13日に運行が開始されました。
しかし、老朽化のため2019年5月6日で引退することが発表されています。
しかし、老朽化のため2019年5月6日で引退することが発表されています。
高宮駅
近江鉄道に乗車して多賀大社へ向かいます。
本線の高宮まで乗車して、多賀線に乗換えるのですが、
本線の高宮まで乗車して、多賀線に乗換えるのですが、
多賀線の延長距離は2.5kmで途中にスクリーン駅があるのみです。
一部を除いて高宮駅と多賀大社前駅でピストン運転されています。
多賀線は大正3年(1914)3月8日に開業し、
一部を除いて高宮駅と多賀大社前駅でピストン運転されています。
多賀線は大正3年(1914)3月8日に開業し、
大正14年(1925)3月12日に電化されました。
かって、住友セメント多賀工場やキリンビール滋賀工場への引き込み線があり、
かって、住友セメント多賀工場やキリンビール滋賀工場への引き込み線があり、
高宮駅にはこの中継のための貨物ヤードがありました。
現在は平成26年(2014)12月で、全車が廃車となった
西武鉄道の3000系電車が留め置かれています。
多賀大社前駅
当日運行されていた900系は、西武鉄道より譲り受けた101系電車を改造し、
平成25年(2013)6月14日に運用が開始されました。
当初は青を基調とした車体色から「淡海号(おうみごう)」と
当初は青を基調とした車体色から「淡海号(おうみごう)」と
称されていましたが、平成30年(2018)7月16日より、
特別車両「虹たび号」としての運行が開始されました。
滋賀県観光キャンペーン「虹色の旅へ。滋賀・びわ湖」をPRするため、
滋賀県観光キャンペーン「虹色の旅へ。滋賀・びわ湖」をPRするため、
キャンペーンナビゲーター(虹たびナビゲーター)であり
「滋賀ふるさと観光大使」を務める
西川貴教氏の写真がラッピングされています。
多賀大社前駅
駅前からの参道には鳥居が建立されています。
神仏霊場・第133番札所の多賀大社へ向かいます。
続く
続く