国道沿いのローソンで弁当を購入し、JR中山寺駅発9:43の列車で相野へ向かい、
相野駅発10:20の神姫バスで清水寺へ向かいます。
清水のバス停から先は、清水寺専用の道路になり入山料を徴収するゲートが
清水のバス停から先は、清水寺専用の道路になり入山料を徴収するゲートが
設置され、バスの運転手が乗車人数を確認して報告します。
ゲートをくぐるともう民家はありません。
つづら折れの登山道路を登り、11:06に清水寺の仁王門前に到着しました。
バスを下車する際に、バスの乗車料金580円と入山料500円を支払います。
ゲートをくぐるともう民家はありません。
つづら折れの登山道路を登り、11:06に清水寺の仁王門前に到着しました。
バスを下車する際に、バスの乗車料金580円と入山料500円を支払います。
播磨地方の山奥の、標高約542mの山の頂に清水寺はあります。
仁王門は、昭和40年(1965)の台風で全壊し、昭和55年(1980)末に旧登山道から
場所を変えて新築されました。
登山道路が開通する以前は、麓から旧登山道を40分くらいかけて
登山道路が開通する以前は、麓から旧登山道を40分くらいかけて
登ってきたそうです。
平成4年(1992)11月に丹塗りの塗装が施されました。
仁王像は、大正10年(1921)に岡倉天心に従事した奈良の仏師・菅原大三郎氏に
よって制作され、昭和53年(1978)に大三郎氏の次男、
菅原安男氏によって修復されました。
山門をくぐると参道は左へとカーブし、緩い登り坂になっています。
しばらく歩くと手水舎が見えてきます。
手水舎の手前に薬師堂があります。
薬師堂は、平安時代末期に池之禅尼によって創建されました。
池之禅尼は、平清盛の義母で、平治の乱で捕らえられた源頼朝の助命を嘆願し、
薬師堂は、平安時代末期に池之禅尼によって創建されました。
池之禅尼は、平清盛の義母で、平治の乱で捕らえられた源頼朝の助命を嘆願し、
成長した頼朝によって平家が滅ぼされる、きっかけを作った人物かもしれません。
現在の建物は、昭和59年(1984)11月3日に再建されました。
現在の建物は、昭和59年(1984)11月3日に再建されました。
堂内には、本尊の小さな薬師如来坐像が安置されています。