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大斎原

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本宮大社から5分くらい歩いた所に産田社があります。
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産田社は本宮大社の末社で、祭神は伊邪那美尊(イザナミノミコト)が
祀られています。
伊邪那美尊は、八百万の神々をはじめ、総てを産みだされた
「産土(うぶすな)」の神であります。
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産田社から田んぼのあぜ道を通って大斎原(おおゆのはら)へ向かいます。
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大斎原への道は広くはなく、本宮大社からそれほど離れていないのに、
参拝する人が少ないように感じます。
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大斎原に建つ鳥居は、幅約42m、高さ約34mの日本一の大鳥居で、
鉄筋コンクリート造り、平成12年(2000)に完成しました。
子供の頃、近くの神社の鳥居に小石を放り投げて、鳥居の上に乗せて遊んだ
思い出がありますが、この鳥居ではそんなことは到底不可能です。
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杉の巨木が立ち並ぶ参道の先に、神聖な場所であることを示す何かが感じられます。
是より先、撮影が禁止されています。

第十代崇神天皇の御代、猟師が山の奥で大きな猪を射止めました。
射抜かれた猪は血を流しながら逃げたので、猟師も後を追いました。
大斎原まで来ると、猪は櫟(いちい)の巨木の下で力尽きて
ぐったりと倒れています。
猟師はその場で猪の肉を食べ、満腹になったので木の下で眠りこけてしまいました。
やがて夜になり、目覚めた猟師がふと宙を見上げると、
木の枝の先に掛かっているのは三体の月。
何事かと驚いた猟師は月に問いかけます。
「なぜここに掛かっているのだ」。
すると真ん中にある月が「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚尊)であり、
両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。
社殿を創って齋き祀れ」と答えました。
この神勅により、615年、熊野本宮大社の社殿が熊野川・岩田川・音無川が
合流する大斎原の中州に創建されたと伝わります。
江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は
歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりでした。
音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れたのです。
当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、
現在の数倍の規模だったそうです。
残念ながら明治22年(1889)の熊野川水害により中洲にあった旧社殿は、
中・下社が倒壊し、倒壊を免れた上四杜のみが丘陵にある現在地に遷されました。
中四社及び下四社と摂・末社の社殿は再建されることなく、
大斎原に2基の石祠として残されています。
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河原は今も広く、水の流れは穏やかです。
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築かれた高い堤防が、荒れ狂った時の川の凄さを物語っているように思えます。
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今回、時間の都合で宝物殿を拝観することができませんでしたが、
宝物殿には国の重要文化財に指定されている鉄湯釜が展示されています。
かって、この中州で湯立て神事が行われ、その際に使用されていたもので、
建久9年(1198)の銘があり、建久8年在銘の東大寺大湯屋のものに次ぐ古い釜です。
「熊野権現垂迹縁起」では大斎原が「大湯原」と表記されています。
古来からこの河原で、大釜に湯を沸かし、神のお告げを伺ったのではないかと
想像されます。
本宮大社前13:21発のバスで熊野速玉大社へ向かいます。
続く

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