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紀三井寺-その2

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231段の石段を上って来て、正面に建っているのが六角堂です。
六角堂は、江戸時代の寛延年間(1748~1751)に建立され、
西国三十三所の各本尊が安置されています。
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六角堂の右側、境内の南端に2008年に落慶法要が営まれた、
高さ33mの「こころの灯台・新仏殿」があります。
「迷い多き時代の灯台に」という住職の願いが込められ、チベットのポタラ宮
イメージして建築されたそうです。
ポタラとは、観音浄土の地である補陀落のサンスクリット語名
「ポータラカ」に由来しています。
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堂内には、十一面観音像と千手観音像を融合した総高11mの木造仏、
「大観音像」が祀られています。
全身漆塗りの金箔張りで、十一面の頭上面と42本の手を有した
日本最大の木造観音像です。
平安や鎌倉時代の人々が、新しい仏像に讃仰(さんごう)した気持ちが、
今、味わえたような気がします。
日本を代表する仏師、松本明慶師によって製作されました。
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「こころの灯台・新仏殿」の前に「しあわせ地蔵尊」が祀られています。
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六角堂の左側に鐘楼があります。
鐘楼は、 安土桃山時代の天正16年(1588)に建立されたもので、
国の重要文化財に指定されています。
最近修復されたのでしょうか?朱の色が鮮やかです。
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鐘楼の横には「幸福観音」と命名された像が建っています。
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観音像の横には、弘法大師が祀られた大師堂がありますが、詳細は不明です。
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本堂前の桜は朝日を浴びて、開花を急いでいるようです。
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多宝塔を仰ぎ見ると、まだ桜の花の数が少なく、少し寂しい様な気がします。
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本堂の手前に「ごくらく橋」が架かり、その奥に如意輪観音像が祀られています。
天界道に迷う人々を救う観音菩薩とされ、「如意宝珠」と「法輪」の二つを
手に持ち、また、六本の手で六道すべてに救いの手を
差し伸べるともいわれています。
「如意宝珠」とは意のままに智慧や財宝、福徳もたらす如意宝珠という
宝の珠のことで、「法輪」は煩悩を打ち砕く法輪を指しています。
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紀三井寺は寺伝によると、奈良時代の宝亀元年(770)に唐より渡来した
僧の為光(いこう)によって開基されたと伝わります。
為光が、日本各地を行脚していた時、名草山山頂から一筋の光が
発せられているのを感じました。
光の元をたどって名草山に登り、そこで金色の千手観音を感得しました。
為光は自ら十一面観音像を彫刻し、胎内仏としてその金色千手観音像を奉納し、
一宇を建立して安置したのが紀三井寺の始まりとされています。

現在の本堂は、江戸時代の宝歴9年(1759)に建立されたもので、
和歌山県の重要文化財に指定されています。
当日は、本堂の内陣が特別公開されていましたが、撮影は禁止されています。

本尊の十一面観世音菩薩と千手観世音菩薩(ともに平安時代作・重文)は
秘仏とされ、50年に一度開扉されます。
本堂の正面に御前立の十一面観音菩薩立像と千手観音菩薩立像
(ともに室町時代作)が安置されています。
右側に増長天、左側に持国天(ともに江戸時代作)が安置されています。
右脇に藤原~鎌倉時代作の薬師如来像、左脇に阿弥陀如来像
(頭部・平安時代作)を中尊に右に虚空菩薩像、左に弥勒菩薩像
(ともに室町時代作)が安置されています。
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本堂内から「霊宝館」へと下ります。
扉を開けると、正面に大黒さんと恵比寿さんが笑顔で出迎えてくれますが、
すぐ下り階段になっていますので注意が必要です。
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階下には「十界曼荼羅図」、「玉津嶋神社・加代姫図」などが展示されています。
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更にその下の階は、薄暗く、西国三十三所の各本尊が小さな明かりの中に
安置されています。
周囲をおびただしい杓子で囲われ、さらにいくつか山積みされています。
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不動明王像、救世観音像などが安置されています。
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本堂を出て、横の石段を上ります。
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左側に開山堂がありますが、詳細は不明です。
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右側に多宝塔が建っています。
多宝塔は、室町時代の文安6年(1449)に建立されたもので、
国の重要文化財に指定されています。
嘉吉元年(1441)にそれまであった仏塔が風害で倒壊したため、
多宝塔が建立されました。
堂内には、室町中期様式の五智如来が安置されています。
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多宝塔の左側に「春子稲荷」を祀った小さな祠があります。
戦国時代の天正13年(1585)、織田信長、羽柴秀吉の紀州征伐軍が、根来寺、
粉河寺などを焼き討ちし、紀三井寺に迫ってきました。
当山観音堂神官の娘・春子は観音堂に籠もって三日三晩一心不乱に祈り、
白狐に変化して秀吉の元に飛び込んでいきました。
その後、春子は一枚の書状を持ってお堂に倒れていました。
書状には「紀三井寺だけは攻撃しない」という一文が書かれていた、
という伝承が残され、以来、人々は厄除けとして春子稲荷を祀ったとされています。
この紀州攻めにより、49町を有した寺領が没収されてしまったそうです。
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春子稲荷の左側、「三社権現」は工事中で、幕で覆われていて、詳細は不明です。
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この高台から和歌浦が一望できます。
和歌浦へ向かうため、9:31のバスに間に合うように急いで下山します。
続く。

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