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粉河寺-その2

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中門は、棟札によれば明和年間(1764~1772)頃から着工し、
天保3年(1832)に完成し、国の重要文化財に指定されています。
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山号「風猛山」の扁額は紀州十代藩主徳川治宝の筆によるものです。
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門には四天王像が安置され、中門といえども威風堂々とした立派な門です。
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門をくぐった左側に若山牧水の歌碑が建っています。
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中門をくぐった突き当りに、「水向地蔵」が祀られた地蔵堂があり、
堂前には経木塔婆(きょうぎとうば)が立てられています。
経木塔婆に水を手向け、亡くなった人の冥福を祈るので水向地蔵と
言われるそうです。
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「水向地蔵」の左側に芭蕉句碑が建っていますが、
葉に邪魔されて文字が読めません。
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句碑の左側に丈六堂があります。
丈六堂は、文化3年(1806)に再建され、
昭和57年(1982)に解体修理が行われました。
仏は身長が1丈6尺(約4.85m)とされていることから
仏像も丈六が基準とされました。
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堂内には、丈六の阿弥陀如来像が安置されています。
坐像の場合、丈六像は半分の約8尺(2.43m)になります。
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正面、本堂への石段の手前・両側の約3mの斜面に国の名勝に指定されている
粉河寺庭園があります。
緑泥片岩を主とし、琴浦(ことうら)の紫石、龍門石(りゅうもんいし)などの
紀州の名石を含む、多数の巨大な岩石が変化に富む手法で堅固に、
美しく組まれています。
ツツジの刈込みが、石組を一段と美しく引き立てているように見え、
桃山時代の豪華な作風が表されています。
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石段を上った右側に六角堂があります。
六角堂は享保5年(1720)に建立され、平成7年(1995)に解体修理が行われました。
堂内には、西国三十三所の本尊が安置されています。
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六角堂の前に「湯浅桜」が花を咲かせています。
湯浅の元祖である湯浅宗重の父、藤原宗永が粉河寺の本尊・千手観音の
お告げによって、本堂の巽(東南)の方角に植えたと伝わります。
何度か代替わりをしているのでしょうが、今も守り続けられ、
満開とはいきませんがきれいな花で疲れを癒してくれます。
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本堂は、享保5年(1720)に上棟されました。
天正13年(1585)、織田信長・羽柴秀吉軍による紀州攻めにより、
全山焼失しました。
また、正徳3年(1713)にも火災があり、現在の伽藍はほとんどがそれ以降の
江戸時代に再建されました。
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西国三十三所では最大級の堂で、本尊を安置する正堂(しょうどう)と、
礼拝のための礼堂(らいどう)を前後に並べた形式になっています。
正堂内には、正面3間、側面3間の内陣が設けられ、内陣の正面1間分は須弥壇とし、千手観音の眷属である二十八部衆像と風神雷神像計30体が
左右15体ずつ安置されています。
その奥の正面2間、側面2間は扉と壁で囲まれた閉鎖的なスペースで、
お前立ちの千手観音像が安置されていますが、
このお前立ちでさえ秘仏とされています。
真の本尊は本堂下の地中に容器に入れて埋められているとされています。
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礼堂には、賓頭盧尊者像が安置されています。
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本堂の西側に千手堂があり、草創1300年行事で特別開帳されていますが、
午後4時までで10分足らずしか残されていません。
16:34の粉河駅発に乗車したかったので諦めることにしました。
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本堂と千手堂の間に石段があり、それを上った所に産土神社がありますが、
時間の関係で下の遥拝所でお参りを済ませました。
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本堂から左側に進むと鐘楼があります。
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鐘楼の右側に「踞木地(きょぼくち)のクスノキ」が聳えていて、
保存木に指定されています。
粉河寺の開祖・大伴孔子古(おおとものくじこ)が木の上で踞(うずくま)り
下を通る鹿を狙ったと伝わります。
樹齢は不詳ですが、樹高20m、目通り幹周7.7mの風格を感じさせる大樹です。
この大樹から奥の方へ進むと十禅律院があるのですが、JR粉河駅に戻り、
和歌山電鉄の和歌山駅から竈山(かまやま)神社へ向かいます。
続く

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