隋神門の先に神門があり、そしてその奥に本殿が鎮座し、
いずれも県の文化財に指定されています。
神門(中門)は、享和3年(1803)に、本殿は享和2年(1802)に造営されました。
祭神は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)で、
祭神は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)で、
海神・大綿津見神(おおわたつみのかみ)の娘です。
若狭彦神社(上社)の祭神である山幸彦「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」は兄、海幸彦の道具で釣りをしている時、誤って針を無くしました。
針の行方を聞くため海神のいる竜宮城へ行った山幸彦は、
若狭彦神社(上社)の祭神である山幸彦「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」は兄、海幸彦の道具で釣りをしている時、誤って針を無くしました。
針の行方を聞くため海神のいる竜宮城へ行った山幸彦は、
そこで豊玉姫と出会いました。
無くした針は鯛の喉から見つかり、山幸彦と豊玉姫は結ばれ、
無くした針は鯛の喉から見つかり、山幸彦と豊玉姫は結ばれ、
やがて豊玉姫は鵜茅不合葺命(うがやふきあえずのみこと)を出産します。
豊玉姫は、山幸彦に産屋を覗いてはならないと伝えたのですが、
豊玉姫は、山幸彦に産屋を覗いてはならないと伝えたのですが、
山幸彦は約束を破り覗いてしまいます。
そこに山幸彦が見たものは、「八尋大熊鰐(やひろおおくまわに)」の姿とも
そこに山幸彦が見たものは、「八尋大熊鰐(やひろおおくまわに)」の姿とも
「龍」の姿とも伝わり、出産後豊玉姫は綿津見神の国へ
帰ってしまいました。
鵜茅不合葺命は、豊玉姫の妹・玉依姫に養育され、
鵜茅不合葺命は、豊玉姫の妹・玉依姫に養育され、
後に神武天皇の父親になりました。
社殿の右前にある石灯籠は、かって鯖街道に置かれていたものが
昭和40年代に移築されたものです。
本殿を囲う玉垣内に千年杉が聳えていますが、
この杉には健康長寿や子孫繁栄の御利益があるとされています。
その横には、享和3年(1803)に造営された神門の鬼板が建てら掛けられ、
印が付けられたハートマークは、屋根替えの都度、
引き続き用いられているそうです。
この舞台は長く使われていないように見受けられます。
能舞台の傍らに立つ「招霊(おがたま)」の木は、
明治時代に京都御所から移植されたもので小浜市の
天然記念物に指定されています。
神饌所の横には相撲の番付表が展示されていますので、
以前は奉納相撲が行われていたのかもしれません。
神饌所の左前に「子種石」があり、陰陽石に祈れば子宝に恵まれると
信仰されています。
「子種石」の傍らに立つ大イチョウは、乳房のような乳根が垂れ下がり、
乳神様と崇められています。
「子種石」の奥に「桂の井」と呼ばれる霊水が湧き出ています。
若狭彦神社へ向かいます。
続く
続く