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東寺-その1

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7:25に近鉄東寺駅に着き、5分余り余り西に歩いた所に東寺があります。
東寺は正式には「金光明(こんごうみょう)四天王教王護国寺秘密伝法院」で、
山号は「弥勒八幡山」ですが、宗教法人としての登録名は「教王護国寺」で、
「東寺」は創建当時から使用されてきた歴史的名称であります。
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南大門は安土桃山時代末期の慶長6年(1601)に建立されたのですが、
明治元年(1868)に焼失し、明治28年(1895)に蓮華王院(三十三間堂)の
西門が移築されました。
安土桃山時代のもので、国の重要文化財に指定され、重厚さを感じさせます。
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門を入った右側に八島神社があります。
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八島とは、伊邪那岐命と伊邪那美命が生み出した日本列島のことで、
東寺が造営される以前からこの地に祀られていました。
空海は、東寺の伽藍建立に先立ち、この神に造立成就を祈願し、
地主神として崇められたと伝わります。
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明治元年(1868)に南大門が焼失した際に、八島神社も焼失し、
現在の社殿は平成4年(1992)に再建されました。
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南大門の左側に弘法大師像が建っています。
弘仁7年(816)に修禅の道場として高野山の開創に着手した空海は、
弘仁14年(823)に太政官符により東寺を賜り、真言密教の道場としました。
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弘法大師像から奥に進むと鎮守八幡宮があります。
鎮守八幡宮は弘仁元年(810)、薬子の変に際し、空海が王城鎮護を祈願して
宇佐八幡宮を勧請し、創建されました。
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空海は一本の霊木から、自ら八幡三神を刻んだと伝わり、
日本最古の神像で秘仏とされています。
南北朝時代、東寺の内外で戦闘が行われた時、鎮守八幡宮から神矢が飛んで、
東寺に陣を置いた足利尊氏が勝利しました。
この戦勝により、足利幕府は東寺を保護し、鎮守八幡宮も栄えたのですが、
南大門の焼失の際に類焼し、平成4年(1992)に再建されました。
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鎮守八幡宮の向かい、境内の南西角には灌頂院(かんじょういん)があり、
鎮守八幡宮の向かいに灌頂院への東門があります。
灌頂院は東寺にしか現存せず、「真言堂」とも呼ばれ、真言宗寺院では
最も重要な堂宇で、国の重要文化財に指定されています。
空海が修行した唐の青竜寺にならい、密教修行の道場として建立され、
灌頂道場としては最大規模になります。
承和10年(843)に建立されたのですが、承和2年(835)に弘法大師が
入定されたため、東寺二祖の実恵大徳(じつえだいとく)によって完成されました。
承和10年(843)に太政官符で実恵大徳に対し
東寺で最初の伝法灌頂が許可されました。
天正13年(1586)に発生した天正地震で損壊し、弘法大師八百年御遠忌の
寛永11年(1634)に徳川三代将軍家光により再建されました。
天正地震は、中部地方を震源とした巨大地震で、被害の範囲は
明治24年(1891)の濃尾地震(M8.0~8.4)をも上回る広大なものでした。
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灌頂院北門
灌頂院の四方は築地塀で囲われ、通常非公開です。
東門と北門はともに国の重要文化財に指定されています。
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鎮守八幡宮から北上すると勅使門があり、築地塀で囲われた内部には書院、
客殿、小子坊などがありますが、通常非公開です。
小子坊は、元は西院大師堂の一面にあり、
西院とは境内の西北隅に位置することからの呼称です。
南北朝時代に九州に下った足利尊氏が光厳上皇(こうごんじょうこう)の院宣を
掲げて京都に入り、建武3年(1336)から約半年間、
洛中の戦乱が治まるまで御所とされました。
現在の建物は、昭和9年(1934)に弘法大師千百年御遠忌の記念事業として、
木曽檜材を用いて新築されました。
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本坊への門には「真言宗総本山 教王護国寺 事務所」と掲げられています。
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本坊も非公開です。
本坊の北側にある西院は、かって空海が居住していたと伝わり、
御影堂(大師堂)がありますが、現在工事中です。
西院を巡ります。
続く

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