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東寺-その3(五重塔)

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東寺の伽藍は、南大門をくぐると、金堂、講堂、食堂そして北大門が
一直線上に配置され、東南角に五重塔が建っています。
金堂、講堂、食堂の配置は仏教の三宝である仏・法・僧を表しています。
金堂には本尊の「仏」、講堂は密教の教え「法」、そして食堂が「僧」で
生活の中に修行を見出す所です。
金堂と講堂及び宝物館へは拝観料が必要で、春の特別公開では
五重塔の初層及び観智院の拝観をセットにして1,300円で受付けています。
受付から入った左側に樹齢約120年、樹高13m、枝張り7mの
「八重紅枝垂れ桜」の木があります。
この木は岩手県の旧家で育てられていたのですが、弘法大師が唐より
帰朝して1200年を記念して平成18年(2006)にこの地に移植されました。
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その先、瓢箪池があり、その周囲に庭園が造営されています。
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瓢箪池には五重塔が映ります。
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藤棚もありますが、まだ早いようです。
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桜の季節には遅れてしまいましたが、それ以外にも色とりどりの花が
目を楽しませてくれます。
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東側に東大門がありますが、現在工事中です。
東大門は「不開門(あかずのもん)」と呼ばれ、鎌倉時代の
建久9年(1198)に再建され国の重要文化財に指定されています。
南北朝時代の延元元年(1336)、東寺に本陣を敷いた足利尊氏新田義貞が攻撃し、尊氏は門を閉めて難を逃れ、以来寺では開けてはならない門とされたと伝わります。
新田軍が放った矢の跡が残っていると伝わり、室町時代の
応永30年(1423)では大風で、江戸時代の慶長10年(1605)には
地震で損傷しましたが、同年豊臣秀頼によって大修理が施されました。
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五重塔は平安時代の元慶7年(883)に建立されましたが、天喜3年(1055)に焼失、
応徳3年(1086)に再建されたましたが鎌倉時代に再び焼失し、
その後も再建、焼失を繰り返し現在の五重塔は江戸時代に再建された
五代目になります。
周囲に高い建物が無かった時代、雷様の格好の餌食になったものと思われます。
初代五重塔の建築に当たり、その用材は伏見稲荷の山から伐り出されましたが、
その時誤って伏見稲荷の御神木も伐採されました。
天長4年(827)、淳和天皇(じゅんなてんのう)が病に倒れたのは
そのたたりであるとされ、伏見稲荷に「従五位下」の神階が授けられ、
病気平癒の祈祷が行われ、東寺の鎮守とされるようになりました。
現在の塔は寛永21(1644)、徳川三代将軍家光によって再建されたもので、
国宝に指定されています。
木造の建築物としては55mで日本一の高さを誇り、
京都の玄関のシンボルとなっています。
仏塔は、古代インドにおいて仏舎利(釈迦の遺骨)を祀るために
紀元前3世紀頃から造られ始めたストゥーパを起源としています。
五重塔も仏塔の一つで、空海が唐より持ち帰った仏舎利が納められています。
下から地(基礎)、水(塔身)、火(笠)、風(請花)、空(宝珠)から
なるもので、それぞれが5つの世界(五大思想)を示し、
仏教的な宇宙観を表しています。
相輪は塔の中でも重要な部分で、最上部の宝珠は仏舎利、
竜車(高貴な方の乗り物)、水煙(火事を避けるため水煙)
そして九輪は五智如来四菩薩を表わすとされています。
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初層の棟の四隅は邪鬼が支えています。
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東側から中へ入ります。
心柱を囲むように四体の如来像が安置されています。
入った東側に像高64.8cmの阿閦如来(あしゅくにょらい)像、
北側に像高64.8cmの不空成就如来像、西側に像高65.1cmの阿弥陀如来像、
そして南側に像高62.8cmの宝生如来像が安置され、
心柱は大日如来を象徴しています。
四方柱に金剛界曼荼羅、四面の側柱に八大龍王、
四面の壁には真言八祖像が描かれています。
心柱は建物を支えている訳ではありません。
塔の内部は、複雑な木組みによって建物全体を支え、
二層以上は上がれないようです。
北側にある小窓から建物が下がってきていることが、
心柱との位置のずれから確認することができます。
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塔の内部は撮影禁止になっていますが南側から出て、
外から内部をこっそり覗いてみました。
金堂へ向かいます。
続く

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