訂正:向日神社-1で「勝山稲荷社は、江戸時代の正徳元年(1711)に創建され、
拝殿と本殿は国の重要文化財に指定されています。」と記載しましたが、正しくは、「登録文化財に指定されています。」でした。
向日神社-その2で「江戸時代の天保4年(1833)、 美濃西部で発生した地震で本殿も損傷を受けました。」と記載しましたが、正しくは「文政13年(1830)に発生した京都大地震」に訂正します。
春日神社の奥、小高い盛り上がりに岩で囲われた窟の中に
役行者(えんのぎょうじゃ)尊像が安置されています。
この像は、安永6年(1777)に物集女(もづめ)村で造られ、
この像は、安永6年(1777)に物集女(もづめ)村で造られ、
鎮座されていたものを昭和25年にこの地に遷され、
勝山神変大菩薩と改称され祀られるようになりました。
神変大菩薩とは、寛政11年(1799)に、朝廷から役行者に対して贈られた
諡号(しごう)です。
窟に積まれた石組みの上に、勝山身代不動明王が祀られています。
背後には御神木が聳え、不動明王の横のには注連縄が巻かれた岩が鎮座しています。
向日神社の原点ともいえる、向日神が影向(ようごう)されたと伝わる
向日神社の原点ともいえる、向日神が影向(ようごう)されたと伝わる
神域の中心地です。
影向とは、「神仏が仮の姿をとって現れること。神仏の来臨。」を意味します。
影向とは、「神仏が仮の姿をとって現れること。神仏の来臨。」を意味します。
以前、向日神社の本殿はここにありました。
勝山神変大菩薩の前、四角に区切られ、四隅に短い石柱が建っている所は、
修験者が護摩を焚いた祈祷所です。
勝山神変大菩薩の横には、白雲龍神・白玉弁財天女が祀られた小さな祠があります。
現在の本殿の裏側は、「鶏冠木(かえるで)の苑(その)」と名付けられています。
「鶏冠木」とは、楓の古名で、楓の葉がカエルの手に似ていることから、
「鶏冠木」とは、楓の古名で、楓の葉がカエルの手に似ていることから、
また葉の形がニワトリの鶏冠(とさか)に似ていることから付けられたそうです。
戦前まで土俵がありましたが、以後は樹木が鬱蒼と茂っていました。
平成17年に樹木を切り払い、石舞台が設置され、
戦前まで土俵がありましたが、以後は樹木が鬱蒼と茂っていました。
平成17年に樹木を切り払い、石舞台が設置され、
「鶏冠木の苑」として神苑に戻されました。
石舞台では、狂言が演じられていたそうです。
石舞台では、狂言が演じられていたそうです。
石舞台から奥に進むと鳥居が建っています。
鳥居には、「奉寄進 増井神社・天保4年 浪速北浜 加嶋屋藤十郎 大西茂興」と刻まれているそうですが、現在では判読が難しくなっています。
鳥居には、「奉寄進 増井神社・天保4年 浪速北浜 加嶋屋藤十郎 大西茂興」と刻まれているそうですが、現在では判読が難しくなっています。
鳥居からは石段の下り道が続きます。
下りきった所に増井神社があります。
増井神社の御神体は、社殿の奥にある井戸で、火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)の荒魂が祀られています。
火雷大神は、下ノ社と呼ばれた火雷神社の祭神でした。
下ノ社が荒廃したことにより、上ノ社である現在の向日神社に
火雷大神は、下ノ社と呼ばれた火雷神社の祭神でした。
下ノ社が荒廃したことにより、上ノ社である現在の向日神社に
合祀されていたのですが、文明16年(1484)に角宮神社(すみのみやじんじゃ)が
再建されました。
角宮神社が下ノ社だったのか?諸説がありますが、明治16年(1883)に
角宮神社が下ノ社だったのか?諸説がありますが、明治16年(1883)に
火雷大神の御神体は、向日神社から角宮神社へと遷されました。
増井神社の社殿は、平成の御大典の際に再興され、向日八大龍王が合祀されました。
井戸の覆屋も併せて建立されました。
井戸の覆屋も併せて建立されました。
井戸から湧き出る水は神水とされ、
この井戸には、150年前に浪速の国で起こった火事にまつわる伝承があります。
火は強風にあおられ、どんどん拡がりました。
古老が夢まくらに神のお告げを聞きました。
「西の岡、向日神社に霊験あらたかな井戸がある。
火は強風にあおられ、どんどん拡がりました。
古老が夢まくらに神のお告げを聞きました。
「西の岡、向日神社に霊験あらたかな井戸がある。
その水をかけると火事はたちまちにして消える」
井戸へ向かい、急いで水を持ち帰り、燃えさかる火に振りかけたところ、
井戸へ向かい、急いで水を持ち帰り、燃えさかる火に振りかけたところ、
たちまち、火は衰え、ついに消えたそうです。
先の鳥居は、このご利益をもって寄進されたのでしょうか?
先の鳥居は、このご利益をもって寄進されたのでしょうか?
増井神社の向かいには、六角形の覆屋の中に井戸のようなものがあります。
ここは、行者が清めを行う場所でした。
ここは、行者が清めを行う場所でした。
下ってきた石段を戻ります。
続く