神足神社
JR長岡京市駅西側から地下通路を経て、東口に着きました。 正面に0系新幹線の車輪とD-51蒸気機関車の第四動輪が展示されています。右側には、国鉄時代の緩急車「ヨ8000」が展示されています。...
View Article勝龍寺城公園
勝龍寺城公園の手前に観音寺があります。観音寺は、室町時代の元亀1年(1570)、雪山によって開創され、江戸時代の宝暦年間(1751〜1763)に再建されたと伝わります。 本尊は、十一面観音座像で、京都洛西観音霊場の第13番札所です。...
View Article勝龍寺
勝龍寺城公園に直ぐ近くに勝龍寺があります。 勝龍寺は、平安時代の大同元年(806)、空海によって開基されたと伝わります。 寺号は恵解山青龍寺で、当初の「青龍寺」という寺名は、空海が学んだ唐の青龍寺に由来しているとされています。 観音堂を始め九十九坊が建てられていた大寺院であったことが、勝龍寺城や地名で残されていることから窺うことができます。...
View Article恵解山古墳~サントリービール工場見学
恵解山古墳(いげのやまこふん)は、古墳時代中期(4世紀末~5世紀末)に築造された乙訓地方最大の前方後円墳です。 全長は、約128mでその周囲には幅約30mの浅い周濠(しゅうごう)が掘られていました。 古墳は3段に築かれ、斜面には河原石が積まれて、各段と頂上平坦部には埴輪が並べられていました。 後円部には、死者を埋葬した竪穴式石室があったとみられていますが、今は墓地になっています。...
View Article史跡 長岡宮跡
阪急京都線「西向日駅」から北50mの所に「史跡長岡宮朝堂院公園」があり、公園内には案内所があります。 案内所内には、向日市内の遺跡を紹介したパンフレットが置かれていますので、向日市を探索するには、必要なアイテムです。 開所時間は、午前10時から午後5時までですが、午後0時から午後1時までは昼休みです。 長岡宮公園の向かい、民家の生垣の間に「長岡宮朝堂院会昌(かいしょう)門跡」の石碑が建っています。...
View Article北真経寺
「大極殿」の交差点から東へ進み、阪急京都線の踏み切りを渡って直ぐの所に、「向日社芝斎場」があります。 斎場とは、葬儀が行われる所と思っていましたが、辞書で調べてみると「神仏を祭るために、特別に設けられた清浄な場所。」の意味もありました。ここは、5月の第二日曜日に行われる、向日神社の例大祭で神輿巡幸の際に、鶏冠井(かいで)地区の宮座の方が奉献をする所だそうです。...
View Article南真経寺~石塔寺
南真経寺は、正門の正面に建っているのは本堂ではありません。正門の正面、境内の中央には、開山堂が建っています。 棟札から、寛永19年(1642)に完成したことがわかり、京都府の文化財に指定されました。 開山堂には、「真経寺」の扁額が掛かっています。開山堂に向かって右側に本堂があります。...
View Article向日神社-その1
向日神社が鎮座する向日山は、大歳神(おおとしのかみ)の子、御歳神(みとしのかみ)が峰に登り、向日山と名付けました。 神は永く鎮座し、田作りを推奨し、やがて、御歳神は向日神と呼ばれるようになりました。 向神社(むこうじんじゃ)の創建は、この伝承によるものです。...
View Article向日神社-その2
手水舎 江戸時代中期に建立され、国の有形文化財に登録されています。天満宮社 江戸時代の天保4年(1833)に建立され、国の有形文化財に登録されています。舞楽殿 舞楽殿は、江戸時代の寛永2年(1625)に建立されましたが、2002年に焼失し、翌年再建されました。 4月の桜まつり、7月の星空コンサート、9月の観月の夕べなどで催し物が開催されます。本殿...
View Article向日神社-その3
訂正:向日神社-1で「勝山稲荷社は、江戸時代の正徳元年(1711)に創建され、拝殿と本殿は国の重要文化財に指定されています。」と記載しましたが、正しくは、「登録文化財に指定されています。」でした。向日神社-その2で「江戸時代の天保4年(1833)、...
View Article向日神社-その4
古神札納所増井神社から戻り、本殿の南側に古神札納所があります。 向日大明神(右)と秀九大明神御霊社 もとは物集女村(現在の向日市物集女町)にあった御霊社を明治10年(1977)に現在地に遷されました。 社殿は江戸時代中期に建立されたとみられていますが、移築に際して部材の取替えがあったようです。 国の有形文化財に登録されています。客殿...
View Article五塚原古墳~宝菩提院跡
向日神社から西国街道を北へ進んだ右側に「冨永屋」があります。 江戸時代の元和2年(1616)には、宿屋として開業していて、全国を測量した伊能忠敬も宿泊したことが記録に残っています。冨永屋から更に北に進んだ西国街道と愛宕道の分岐点に須田家住宅があります。 屋号を「松葉屋」といい、明治30年代まで醤油の製造販売を営んでいました。...
View Article角宮神社
角宮(すみのみや)神社は、乙訓坐火雷神社(おとくにいますほのいかづちのかみやしろ)、略して乙訓社とも呼ばれています。 「乙訓坐火雷神」は、『山城国風土記』の賀茂神社縁起で、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の子の玉依姫命(たまよりひめのみこと)が、火雷神(ほのいかづちのかみ)が化身した丹塗矢によって懐妊し、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)が生まれたと記されています。...
View Article大歳神社
善峰道を西に向かい、文化センター通りとの交差を通り過ぎると、社乃神神社(やしろのかみじんじゃ)があります。 文化センター通りが拡張されたのに伴い、現在地に移転しました。 鳥居は低く、小さいので見過ごしてしまうかもしれません。昔は善峰寺へ参詣する人々で賑わったかもしれない街道ですが、今はひっそりとしていて、小さな社殿は緑の中に埋もれてしまいそうです。...
View Article八幡宮~金蔵寺・御堂(不動堂)
府道733号線を進み、京都縦貫道をくぐった先に、街道に面して八幡宮社(やわたぐうしゃ)があります。 八幡宮社は、長峰八幡宮とも呼ばれています。...
View Article金蔵寺-その1
御堂(不動堂)の先にある三の滝は、不動明王滝とも産の滝とも称されています。 滝から吹き降りてくる風が涼しく、ここで昼食を取ることに決めました。 近くの岩は苔で覆われ、湿気を含んでいますので、コンビ二弁当が入っていた袋を下に敷きました。ベンチでも有ればとも思いますが、この雰囲気を壊したくないので、このままで残していってほしいと思いました。...
View Article金蔵寺-その2
石段を上った正面に本堂が在ります。木立に包まれた境内に、お経が静寂の中に溶け込んでいくようです。 堂内は薄暗く、隆豊禅師と向日明神が合作された、十一面千手千眼観音像は、中央の厨子に納められているのでしょうか? その周囲には数体の仏像が安置されているのが、ぼんやりと覗き見することができます。 本堂から右側に進むと、下の川弁才天が在ります。背後に経塚碑が建っています。...
View Article早尾神社
早尾神社へは、733号線から八幡宮社の手前、「付近観光案内図」が立っている分かれ道を左に進みます。 この案内図には、早尾神社は描かれていません。 分かれ道には、「この先通り抜けできません」との注意書きも見られます。集落から離れると、上り坂が急になり、その坂を登りきる手前の山の手に小さな立て札があります。道路脇にバイクを止めて、登って来た集落の方を振り返ると、一気に高度が上がったことが実感できます。...
View Article十輪寺
十輪寺(じゅうりんじ)は、京都市西京区大原野小塩町にある天台宗の寺院。山号は小塩山(おしおざん)で京都洛西観音霊場第三番札所です。 平安時代の歌人で「伊勢物語」の主人公である在原業平が、晩年に隠棲したことから通称「なりひら寺」とも呼ばれています。...
View Article大原野神社
早尾神社から十輪寺へと周って、大原野神社へは後戻りするようですが、バイクなので問題ありません。 止まらない限り、郊外の空気は涼しく、駐車にも困りません。 大原野神社の手前に、大原野神社の境外摂社である樫本神社があります。 現在工事中で、ネット越しに中が空洞であることが確認できました。 先に進むと、車道に面して大原野神社一の鳥居が建っています。...
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