府道733号線を進み、京都縦貫道をくぐった先に、街道に面して
八幡宮社(やわたぐうしゃ)があります。
八幡宮社は、長峰八幡宮とも呼ばれています。
八幡宮社の所在地は、大原野石作町で大歳神社の相殿に祀られている、
八幡宮社は、長峰八幡宮とも呼ばれています。
八幡宮社の所在地は、大原野石作町で大歳神社の相殿に祀られている、
石作神社の旧鎮座地とされている2社の内の1社です。
二の鳥居の先に手水舎がありますが、水は出ていません。
八幡宮社は、古墳の上に建てられています。
本殿の下には、片袖式横穴式石室があり、石垣には入口らしき穴が見られますが、
人が入るには小さいような気がします。
古墳時代後期のもので、玄室の高さ1.2m、長さ2.95m、幅0.98m、
古墳時代後期のもので、玄室の高さ1.2m、長さ2.95m、幅0.98m、
羨道部の高さ1.1m、長さ1.25m、幅1.47mだそうです。
八幡宮社の祭神は、應神天皇と天照大神とされていますが、
なぜか八幡神の神使いである鳩の石像があります。
瓦にも鳩が...
社殿前に立つ御神木のクスノキは、幹周りの太さから歴史を感じさせます。
参道の横は「かごの木ひろば」で、遊具が設置されています。
ひろばの道路側に稲荷社の小さな祠が二つありました。
境内の上部、東側に長峰城の主郭跡の遺構があるらしいのですが、
ひろばからの階段を上がってみても、雑草が繁り、切り倒された樹木が
積まれていたりして、場所を確認することはできませんでした。
バスの時間を確認したのですが、本数が少ないので15:56分桂駅東口行きに
間に合うように戻りたいと思います。
但し、平日用で、土・日は16:35になります。
但し、平日用で、土・日は16:35になります。
バス停の近くに長峯寺があります。
バス停の手前から長峯寺に入ると、手前に井戸があり、
バス停の手前から長峯寺に入ると、手前に井戸があり、
その奥に小さな祠が祀られています。
長峯寺は、石垣に護られ、堂々と佇んでいるように見受けられます。
石段を上がった所に本堂があり、「一隅を照らす」と貼られていました。
長峯寺は天台宗の寺で金蔵寺の末寺です。
室町時代の永享元年(1429)の創建と伝わりますが、
長峯寺は天台宗の寺で金蔵寺の末寺です。
室町時代の永享元年(1429)の創建と伝わりますが、
その後の火災で詳細は不明だそうです。
本堂の前を左に進むと、多くの地蔵像が祀られています。
地蔵像の先にも山門があり、長峰のバス停を直角に曲がった
733号線に面しています。
こちらの方の門に寺号が掛かっています。
長峰のバス停からかなり進んだ先に、「この先行き止まり」の看板が立つ
分かれ道があります。
その道に入ると、急な上り坂で突き当りが階段になっています。
階段の手前に橋があって、その先に「石井神社(いわいじんじゃ)」
と書かれた道標らしきものが見えます。
車で来ても、道は狭く駐車するスペースもありませんのでご注意ください。
車で来ても、道は狭く駐車するスペースもありませんのでご注意ください。
石井神社へは、橋を渡り、手入れされていない山道を10分くらい登ります。
枯れた竹が倒れて道を塞いだりしていますので、跨いだり、
枯れた竹が倒れて道を塞いだりしていますので、跨いだり、
下をくぐったりして進みます。
石井神社は、奈良時代~平安時代に金蔵寺護摩堂の奥にある「御香泉」と呼ばれる井戸の上に創建されました。
平安時代に編纂された「日本三代実録」には、元慶4年(880)に
平安時代に編纂された「日本三代実録」には、元慶4年(880)に
「山城国正六位上石坐神」の名があり、従五位下の神格が授けられた、
との記載が残されています。
延長5年(927)に出版された延喜式神名帳には、
延長5年(927)に出版された延喜式神名帳には、
「石井(いはいの)神社」と記されています。
石井神社は、かって清水を神格化した水神の古社です。
昭和28年(1953)、石井神社は氏子の方々の要望で、現在地に遷されました。
石井神社は、かって清水を神格化した水神の古社です。
昭和28年(1953)、石井神社は氏子の方々の要望で、現在地に遷されました。
山王社
現在地には、山王社が祀られていましたが、合祀され石井神社と改称されました。
階段を上って733号線に出ます。
道は細く曲がりくねっていますので、自動車の離合は困難です。
もっとも、出会ったのは、地元の人だと思われる軽トラック1台と、
道は細く曲がりくねっていますので、自動車の離合は困難です。
もっとも、出会ったのは、地元の人だと思われる軽トラック1台と、
5台のオートバイと人が一人だけでした。
しばらく進むと、金蔵寺の入亀山霊園があり、その中の石段を上ります。
最上部に、金蔵寺を開山された隆豊禅師の墓である五輪塔が建ち、
最上部に、金蔵寺を開山された隆豊禅師の墓である五輪塔が建ち、
その周囲に歴代の住職が葬られています。
御堂は昭和55年(1980)に、信者の方々によって再建されました。
ここに安置されている不動明王像は、隆豊禅師が晩年、自ら彫られたもので、
1300年余り前の石仏です。
この不動明王像は、「一つの願いは叶う」とされ「一願不動明王」と
この不動明王像は、「一つの願いは叶う」とされ「一願不動明王」と
称されています。
御堂前には、「不動坂石像開山作」と刻まれた石碑が建っています。
御堂横には、美少年の墓として「梅若丸」と「律師桂海」のものが並んでいます。
金蔵寺まで、もうすぐです。
続く
続く