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貴船神社-その3(奥宮)

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本宮から奥宮への門を出ると、鈴鹿川に鈴鹿橋が架かっています。
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石段を下って行くと、鳥居が建っていて、それをくぐると車道にでます。
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車道を遡って行くと、中が空洞になった木を見つけました。
雷にでも打たれたのでしょうか?
それでも元気に葉を繁らせています。
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しばらく歩いた先に中宮である結社(ゆいのやしろ)の入口に着きましたが、
参拝順は本宮→奥宮→中宮とされていますので奥宮へ向かいます。
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奥宮の手前に御神木である相生(あいおい)の杉が聳えています。
樹齢約千年とされ、同じ根から二本の杉が生えています。
相生は、相老に通じることから、夫婦共に長生きを意味します。
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相生の杉の脇を上っていくと、二ッ社があり、貴船明神の荒御霊(あらみたま)が
祀られています。
右側が私市(きさいち)社で、祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)、
左側は林田社で、祭神は医薬の神・酒造の神とされる
少彦名命(すくなひこなのみこと)です。
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「思ひ川」の手前に鳥居が建ち、その先が奥宮への参道になります。
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「思ひ川」は、奥宮が本社であった頃、参拝者はこの谷川で身を清めた
禊(みそぎ)の川、物忌(ものいみ)の川でした。
「おものいみ川」がいつしか「思ひ川」と呼ばれるようになりました。
「思ひ川 渡れば またも花の雨」高浜虚子の句です。
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橋を渡った先に「つつみヶ岩」があります。
高さ4.5m、胴回り9mもある貴船石の巨石です。
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「つつみヶ岩」の先、杉の巨木が立ち並ぶ参道を進みます。
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神門の前、夜にはかがり火が焚かれているのでしょうか、
燃えた跡が下に落ちています。
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現在は神門をくぐった所で、山水が引かれた清水で身を清めることができます。
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境内に入って直ぐに目に止まるのが、御神木の連理の木です。
ウィキペディアでは、「連理木(れんりぼく、れんりぎ)とは、2本の樹木の枝、
あるいは1本の樹木の一旦分かれた枝が癒着結合したもの。
自然界においては少なからず見られるが、一つの枝が他の枝と連なって
理(木目)が通じた様が吉兆とされ、「縁結び」「夫婦和合」などの象徴として
信仰の対象ともなっている。」と解説されています。
この御神木は、杉と楓が和合した珍しいものだそうで、大正天皇の貞明皇后も
大正13年に参拝された時に、この木を賞賛されたそうです。
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連理の木の袂に日吉社が祀られています。
祭神は大物主命(おおものぬしのみこと)ですが、かっては
大山咋神(おおやまくいのかみ)が祀られ、山の神であり、
貴船山を守護する神でした。
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日吉社から右前方に拝殿があります。
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拝殿の左横に鈴市社があります。
祭神は、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)で、
神武天皇の皇后です。
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拝殿を回りこんで本殿へと向かいます。
奥宮の祭神は、闇龗神(くらおかみのかみ)で、
本宮の祭神・高龗神(たかおかみのかみ)と同じ、もしくは一対の神様とも
言われており、両方共「龍神様」で水を司っています。
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権地(ごんち)
現在の本殿は、江戸時代の文久3年(1863)に造り替えられ、旧本殿は京阪
「東福寺駅」近くの瀧尾(たきお)神社に移築されたとの記録が残されています。
本殿造り替えの際に、大工が誤ってノミを龍穴に落とすと
「晴天俄かに墨の如くなり、たちまち竜巻のような突風が吹きすさみ、
ノミは空中に吹き上げられ屋根に戻された」と伝わります。
更に、程なくして大工は命を落としてしまったとも...。
平成24年に解体修理が行われました。
一度すべて解体し、使える古材は出来るだけ保存し、古い形態のままを将来に
伝えてゆくのが大切な目的でもありました。
ただし屋根に関しては、軒付は従来通りの「こけら葺き」とし、
あとは全面銅板葺きとなりました。
解体修理にあたり「附曳神事(ふびきしんじ)」が執り行われました。
「まず本殿の西に手広い菰(こも)を結び付け、氏子一同烏帽子浄衣の白装束で、
本殿を東の権地(ごんち)に曳き遷す。
そこで龍穴は自然に菰で覆われる。
龍穴は人目を忌むから、しめ縄にて菰をくくり、竣工の時、まずそれを解き、
本殿を旧位置(龍穴の上)に復し、正遷宮の儀に及ぶ」
神事が行われている間、境内にいる全ての人間は「一切言葉を発してはならない」
とされています。
神事の間は皆が榊の葉を口に咥える習わしで、言葉を発するのが困難な状況で
執り行われます。
今回、附曳神事が150年ぶりに行われたそうですが、現在でも大きな建物を引いて
移される工事が、実は古くから受け継がれてきたものだと改めて関心しました。
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本殿の左横に長さ10m、幅3m、高さ1.5mの「船形石(ふながたいわ)」が
あります。
玉依姫(たまよりひめ)が乗ってきた黄色の船を、人目に触れぬよう
石で包み囲んだと伝えられています。
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船形石の前に吸葛社(すいかずらのやしろ)があります。
祭神は、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)です。
味耜高彦根命は、大国主命(おおくにぬしのみこと)と田霧姫命(たぎりひめのみこと)の子で、農業の神、雷の神、不動産業の神として信仰されています。
古くは傀儡師(傀儡子・くぐつし)や遊女が信仰する神、
百太夫(ももだゆう・ひゃくだゆう))が祀られていたと伝わります。

奥宮から車道を上っていくと、標高700mの芹生(せりょう)峠があり、
それを超えた芹生の集落に寺子屋の跡と伝わる場所があります。
平安時代、芹生の寺子屋に地元の子に混じり、高貴な顔立ちの子が一人いました。
菅原道真が藤原時平の謀略で太宰府に流された中、
道真の子・菅秀才(かんしゅうさい)を忠臣・武部源蔵がかくまっていたのです。
歌舞伎「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の
舞台となった所です。

しかし、今回はここで後戻りして中宮へ向かいます。
続く


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