本宮から奥宮への門を出ると、鈴鹿川に鈴鹿橋が架かっています。
雷にでも打たれたのでしょうか?
それでも元気に葉を繁らせています。
しばらく歩いた先に中宮である結社(ゆいのやしろ)の入口に着きましたが、
参拝順は本宮→奥宮→中宮とされていますので奥宮へ向かいます。
樹齢約千年とされ、同じ根から二本の杉が生えています。
相生は、相老に通じることから、夫婦共に長生きを意味します。
相生の杉の脇を上っていくと、二ッ社があり、貴船明神の荒御霊(あらみたま)が
祀られています。
右側が私市(きさいち)社で、祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)、
右側が私市(きさいち)社で、祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)、
左側は林田社で、祭神は医薬の神・酒造の神とされる
少彦名命(すくなひこなのみこと)です。
「思ひ川」は、奥宮が本社であった頃、参拝者はこの谷川で身を清めた
高さ4.5m、胴回り9mもある貴船石の巨石です。
神門の前、夜にはかがり火が焚かれているのでしょうか、
燃えた跡が下に落ちています。
境内に入って直ぐに目に止まるのが、御神木の連理の木です。
ウィキペディアでは、「連理木(れんりぼく、れんりぎ)とは、2本の樹木の枝、
ウィキペディアでは、「連理木(れんりぼく、れんりぎ)とは、2本の樹木の枝、
あるいは1本の樹木の一旦分かれた枝が癒着結合したもの。
自然界においては少なからず見られるが、一つの枝が他の枝と連なって
理(木目)が通じた様が吉兆とされ、「縁結び」「夫婦和合」などの象徴として
信仰の対象ともなっている。」と解説されています。
この御神木は、杉と楓が和合した珍しいものだそうで、大正天皇の貞明皇后も
この御神木は、杉と楓が和合した珍しいものだそうで、大正天皇の貞明皇后も
大正13年に参拝された時に、この木を賞賛されたそうです。
連理の木の袂に日吉社が祀られています。
祭神は大物主命(おおものぬしのみこと)ですが、かっては
祭神は大物主命(おおものぬしのみこと)ですが、かっては
大山咋神(おおやまくいのかみ)が祀られ、山の神であり、
貴船山を守護する神でした。
日吉社から右前方に拝殿があります。
拝殿の左横に鈴市社があります。
祭神は、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)で、
祭神は、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)で、
神武天皇の皇后です。
拝殿を回りこんで本殿へと向かいます。
奥宮の祭神は、闇龗神(くらおかみのかみ)で、
奥宮の祭神は、闇龗神(くらおかみのかみ)で、
本宮の祭神・高龗神(たかおかみのかみ)と同じ、もしくは一対の神様とも
言われており、両方共「龍神様」で水を司っています。
権地(ごんち)
現在の本殿は、江戸時代の文久3年(1863)に造り替えられ、旧本殿は京阪
「東福寺駅」近くの瀧尾(たきお)神社に移築されたとの記録が残されています。
本殿造り替えの際に、大工が誤ってノミを龍穴に落とすと
本殿造り替えの際に、大工が誤ってノミを龍穴に落とすと
「晴天俄かに墨の如くなり、たちまち竜巻のような突風が吹きすさみ、
ノミは空中に吹き上げられ屋根に戻された」と伝わります。
更に、程なくして大工は命を落としてしまったとも...。
平成24年に解体修理が行われました。
一度すべて解体し、使える古材は出来るだけ保存し、古い形態のままを将来に
更に、程なくして大工は命を落としてしまったとも...。
平成24年に解体修理が行われました。
一度すべて解体し、使える古材は出来るだけ保存し、古い形態のままを将来に
伝えてゆくのが大切な目的でもありました。
ただし屋根に関しては、軒付は従来通りの「こけら葺き」とし、
ただし屋根に関しては、軒付は従来通りの「こけら葺き」とし、
本殿を東の権地(ごんち)に曳き遷す。
そこで龍穴は自然に菰で覆われる。
龍穴は人目を忌むから、しめ縄にて菰をくくり、竣工の時、まずそれを解き、
そこで龍穴は自然に菰で覆われる。
龍穴は人目を忌むから、しめ縄にて菰をくくり、竣工の時、まずそれを解き、
本殿を旧位置(龍穴の上)に復し、正遷宮の儀に及ぶ」
神事が行われている間、境内にいる全ての人間は「一切言葉を発してはならない」
神事が行われている間、境内にいる全ての人間は「一切言葉を発してはならない」
とされています。
神事の間は皆が榊の葉を口に咥える習わしで、言葉を発するのが困難な状況で
神事の間は皆が榊の葉を口に咥える習わしで、言葉を発するのが困難な状況で
執り行われます。
今回、附曳神事が150年ぶりに行われたそうですが、現在でも大きな建物を引いて
移される工事が、実は古くから受け継がれてきたものだと改めて関心しました。
本殿の左横に長さ10m、幅3m、高さ1.5mの「船形石(ふながたいわ)」が
あります。
玉依姫(たまよりひめ)が乗ってきた黄色の船を、人目に触れぬよう
玉依姫(たまよりひめ)が乗ってきた黄色の船を、人目に触れぬよう
石で包み囲んだと伝えられています。
船形石の前に吸葛社(すいかずらのやしろ)があります。
祭神は、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)です。
味耜高彦根命は、大国主命(おおくにぬしのみこと)と田霧姫命(たぎりひめのみこと)の子で、農業の神、雷の神、不動産業の神として信仰されています。
古くは傀儡師(傀儡子・くぐつし)や遊女が信仰する神、
祭神は、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)です。
味耜高彦根命は、大国主命(おおくにぬしのみこと)と田霧姫命(たぎりひめのみこと)の子で、農業の神、雷の神、不動産業の神として信仰されています。
古くは傀儡師(傀儡子・くぐつし)や遊女が信仰する神、
百太夫(ももだゆう・ひゃくだゆう))が祀られていたと伝わります。
奥宮から車道を上っていくと、標高700mの芹生(せりょう)峠があり、
それを超えた芹生の集落に寺子屋の跡と伝わる場所があります。
平安時代、芹生の寺子屋に地元の子に混じり、高貴な顔立ちの子が一人いました。
菅原道真が藤原時平の謀略で太宰府に流された中、
平安時代、芹生の寺子屋に地元の子に混じり、高貴な顔立ちの子が一人いました。
菅原道真が藤原時平の謀略で太宰府に流された中、
道真の子・菅秀才(かんしゅうさい)を忠臣・武部源蔵がかくまっていたのです。
歌舞伎「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の
歌舞伎「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の
舞台となった所です。
しかし、今回はここで後戻りして中宮へ向かいます。
続く
続く