長谷寺-その2
上の登廊を上って行くと、登廊の左側、本堂の下方に三百余社の社殿があり、江戸時代前期の慶安3年(1650)に建立されたもので、国の重要文化財に指定されています。 右側に馬頭夫人(めずぶにん)社がありましたが、見落としていました。登廊を上りきると鐘楼の下をくぐります。...
View Article長谷寺-その3
大黒堂から西へ進んだ所に御影堂(みえどう)があり、天台宗ではみえいどうと読みます。 弘法大師が入定されてから1150年の御遠忌を記念して、昭和59年(1984)に建立されました。 堂内には弘法大師像が安置されています。御影堂から参道は左へと曲がり、少し進んだ高台に一切経堂があります。 永禄4年(1561)、第5代将軍・徳川綱吉の側用人であった牧野成貞により再建されました。...
View Article安倍文殊院
長谷寺から国道165号線へ戻り、西進した先「安倍」の信号を左折し、その先「安倍木材団地2」の信号を左折した先の突き当り、坂道を登って行った所に駐車場への入口があります。 駐車場を出た右側に「文殊院西古墳」があり、国の特別史跡に指定されています。 横穴式の古墳で羨道(せんどう)部の長さ8m、幅2.3m、高さ1.8m、埋葬用の空間である玄室(げんしつ)部は長さ5.1m、幅3m、高さ2.6mあります。...
View Article岡寺
安倍文殊院から「安倍木材団地2」の信号まで戻り、県道15号線へ左折して南下すると「奥山」の信号があり、信号を左折した先に岡寺の駐車場があります。駐車場から歩いた参道の突き当りに「岡寺跡」の石碑があり、国の史跡に指定されています。...
View Article壺阪寺-その1
岡寺から国道169号線へと出て、国道を南下し、「清水谷」の信号を左折して県道119号線へと入ります。 壺阪寺を通り越して、更に坂道を登った峠の手前に五百羅漢への登り口があります。...
View Article壺阪寺-その2
多宝塔まで戻り、その横の石段を上った先の正面に、お里・沢市投身の谷があり、その前にお里・沢市像が建立されています。『壺阪霊験記』では、お里は三年間、沢市の目が治るようにと壷阪寺の観音様に願掛けを行っていました。 それを知った沢市は、お里とともに観音詣りを始めるが、目の見えない自分がいては将来お里の足手まといになると考え、満願の日にお里に隠れて滝壺に身を投げました。...
View Article壺阪寺-その3
四国八十八ヶ所のお砂踏み霊場から下って来た所に「天竺門」があります。天竺門の右側に中興堂があります。 明治の廃仏毀釈で廃寺になりかけた壺阪寺を復興し、第二次世界大戦後の混乱期にも伽藍の復興や社会事業にも尽力された諸大徳が祀られています。天竺門をくぐらずに左側の坂道を登り、県道の下をくぐると、左側に天竺渡来・阿弥陀如来の石像が祀られています。...
View Article三千院-その1
京都市内から川端通を北上し、大原へと向かいます。 国道367号線沿いにある民宿・喜津祢(きつね)を通り過ぎた所を右折し、東の山へと分け入り、石段を上った上に惟喬親王(これたかしんのう)の墓があります。五輪塔は鎌倉時代のもので、高さは1.5mだそうです。惟喬親王は文徳天皇の第一皇子でしたが、皇位は第四皇子の惟仁親王が継承し、惟仁親王は後に清和天皇として即位することになりました。...
View Article三千院-その3
弁財天の右側の石段を上ります。石段を上った所に金色不動堂があります。 護摩祈祷を行う祈願道場として、平成元年(1989)4月に建立されました。 本尊は智証大師・円珍作と伝わる像高97cmの金色不動明王立像で、重要文化財に指定されていますが秘仏です。 毎年4月に行われる不動大祭期間中の約1ヶ月間に開扉されます。...
View Article寂光院
三千院から大原女の小径が寂光院へと続いています。 寂光院の手前にある小広場に「紫葉漬と大原女の発祥の地」と記された石碑が建立されています。寂光院に住した建礼門院に、大原の里人から献上された夏野菜と赤紫蘇の漬物に感動され、「「紫葉漬(しばづけ)」と名付けたと伝わります。 「大原女(おはらめ)」は、薪や柴などを頭に乗せて京都の街で売り歩いた大原の女性を差し、...
View Article寂光院
三千院から大原女の小径が寂光院へと続いています。 寂光院の手前にある小広場に「紫葉漬と大原女の発祥の地」と記された石碑が建立されています。寂光院に住した建礼門院に、大原の里人から献上された夏野菜と赤紫蘇の漬物に感動され、「「紫葉漬(しばづけ)」と名付けたと伝わります。 「大原女(おはらめ)」は、薪や柴などを頭に乗せて京都の街で売り歩いた大原の女性を差し、...
View Article葛川息障明王院(かつらがわそくしょうみょうおういん)
旧花折峠への道大原から国道367号線を北上していくと滋賀途中と呼ばれる小さな峠を越えます。 かって福井と京都を結ぶ鯖街道で、京都から出発して最初の難所でした。 千日回峰行を創始した延暦寺の僧・相応和尚(そうおうかしょう)が、葛川明王院を創建しましたが、比叡山から明王院への途中に位置する「龍花村(りゅうげむら)」を「途中村」と命名したことから途中越と呼ばれるようになったと伝えられています。...
View Article竹生島 宝厳寺
自宅を出て約2時間、なんとか9:40発の船に間に合うように近江今津港に着きました。 バイクは乗り場横に無料で置けます。 乗船料は往復で2,590円と竹生島の入島料400円が別途必要です。 乗船時間25分で島に到着します。 島に降り立った所に「琵琶湖八景 深緑...
View Article宝厳寺~都久夫須麻神社
宝厳寺は西国三十三所観音霊場・第30番、神仏霊場巡礼の道・第138番、江州三十三観音霊場・第17番の各札所です。 納経を済ませ、観音堂の方へ下りますが、観音巡りからすれば、順路が逆でした。港から上ってきた石段の前を通り過ぎた所に西国三十三所の各本尊が祀られていましたので、せめてこちらを先に参拝すべきでした。...
View Article長命寺-その1
今津港から国道161号線を南下し、途中白髭神社に立ち寄る予定でしたが、神社は大勢の人で混雑していたため断念。 その先では国道も渋滞していました。 堅田まで南下して、琵琶湖大橋を渡り、湖岸道路を北上して予定より20分遅れの14:40に長命寺港に到着しました。 現在は長命寺山の東側は大中之湖干拓地が広がっていますが、干拓以前の長命寺は島の中にあったそうです。...
View Article長命寺-その2
三重塔の前から見る本堂。現在の本堂は、寺の文書から室町時代の大永4年(1524)に再建されたと判明し、国の重要文化財に指定されています。 長命寺は山号を姨綺耶山(いきやさん)と称する天台宗系単立の寺院です。...
View Article晴明神社
10月10日、堀川通を北上して午前8:30に晴明神社に到着しました。 堀川通に面して一の鳥居が建立されています。鳥居に掛る扁額には神紋の晴明桔梗印が掲げられています。 神紋の五芒星(ごぼうせい)は、桔梗の花を図案化したもので、陰陽道では魔除けの呪符として伝えられています。...
View Article下鴨神社
晴明神社から堀川通を北上し、今出川通へ右折し、河原町今出川を左折して、その先を右折して賀茂川に架かる出町橋を渡ります。 高野川に架かる河合橋の手前を北上した所に社標と鳥居が建立されています。下鴨神社は賀茂川と高野川の中州に位置し、縄文時代の土器や弥生時代の住居跡が発掘されており、古くから何らかの祭礼が行われていたことが伺えます。...
View Article下鴨神社-その2
南口鳥居をくぐった左側に社務所があり、その一角に「さざれ石」が祀られています。 さざれ石の詳細についてはこちらをご覧ください。さざれ石の北側に相生社(あいおいのやしろ)があり、縁結びの神とされている神皇産霊神(かむむすびのかみ)が祀られています。 鳥居の右側には夫婦らしき石像が置かれています。社殿横には神木の「連理の賢木(れんりのさかき)」と呼ばれる2本の木が立っています。...
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