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花山院-その1

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14:10三田駅北口発乙原(おちはら)バレイ行のバスで花山院へ向かいます。
花山院は、三田市中心部から北方へ約6キロの東光山の山頂、
標高約400mに位置します。
14:22花山院のバス停から舗装はされていますが、結構急な坂道を歩きます。
坂道には、石仏とともに丁石(ちょういし)が建てられています。
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更に登って行くと、四丁目の丁石のある所に「琴弾坂(ことびきざか)」の
石碑が建っています。
花山法皇を慕い、都から来た女官たちが女人禁制のために、
ここで琴を弾き慰めた所と伝えられています。
11人の女御は、山の麓に庵を結んで住み着いたとされ、その地を村の人々は、
いつしか「尼寺」(にんじ)と呼ぶようになりました。
でも、尼寺があった訳ではありません。
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八丁目の丁石の先に、ようやく山門が見えてきます。
バス停から歩いて約20分の距離になります。
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山門はそれほど大きくは無く、安置されている仁王像が窮屈そうに見えます。
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山門をくぐって石段の参道を上ると手水鉢が置かれています。
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身を清め、向きが変わった石段を上ります。
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手前に花山法皇殿、奥に薬師堂と二つの本堂が見えてきます。
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法皇殿の向かいに「花山法皇御廟所」があり、短い石段を上ります。
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御廟所には宝篋印塔が建てられています。
しかし、ウィキペディアでは、法皇は京都御苑の敷地内にあった花山院で崩御され、金閣寺に近い紙屋上陵(かみやがわのほとりのみささぎ)に埋葬されたとあります。
京都の花山院は、花山院家の所有となり、東京奠都まで存続したそうですが
現在は廃されています。
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御廟所から右に下って行くと、法皇の御廟所より大きな宝篋印塔が建ち、
周囲には小さな五輪塔が置かれています。
こちらの方が気になっていたのですが、聞きそびれてしまいました。
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宝篋印塔の奥には、幸福(しあわせ)の七地蔵が祀られています。
七体の地蔵には、家庭、そして自分が幸福になるように様々な知恵を
授けてくれます。
各地蔵は、役割を象徴する“もの”を持って、救いの手を差し伸べています。
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七地蔵の横に「瑠璃光殿」の扁額が掛る薬師堂があります。
花山院は、飛鳥時代の白雉2年(651)に法道仙人によって、薬師瑠璃光如来を
本尊とする密教修行の聖地として創建されました。
当初は「紫雲山・観音寺」と称していました。
法道仙人は、清水寺をはじめ播州地域にいくつかの寺院を開基したと
伝わっています。
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堂内には、本尊・薬師瑠璃光如来の脇侍に日光・月光の両菩薩像が配され、
両脇を十二神将によって守護されています。
もう一つの本堂、花山法皇殿へ向かいます。
続く


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