薬師堂の左横には小さな池があり、多分?弁財天が祀られた祠があります。
薬師堂と池をはさんで、もう一つの本堂、花山法皇殿があります。
花山法皇殿の本尊は、十一面観音です。
十一面観音像の右側には花山法皇像が、
花山法皇殿の本尊は、十一面観音です。
十一面観音像の右側には花山法皇像が、
左側には弘法大師像が安置されています。
法皇殿には、法皇が詠まれ、花山院の御詠歌にもなっている歌が記された額が
奉納されています。
左側の額は、百観音霊場巡拝結願を記念して奉納されたものです。
日本百観音とは、西国三十三所・坂東三十三箇所・秩父三十四箇所を
日本百観音とは、西国三十三所・坂東三十三箇所・秩父三十四箇所を
総合した日本を代表する100の観音霊場を指すそうですが、
西国三十三所でもかなり苦労しているのに、その3倍近くは
想像する気にもなりません。
正暦3年(992)頃、三十三の観音霊場を巡礼した花山法皇が、
播磨清水寺に登った際に東方の山上が光り輝くのを見て訪れ、
ここを隠棲の地とし、14年間滞在しました。
これに因み、山の名が東光山と呼ばれるようになり、花山法皇亡き後、
これに因み、山の名が東光山と呼ばれるようになり、花山法皇亡き後、
花山法皇殿が建立され、寺の名称も東光山・菩提寺と改められました。
花山院は通称です。
花山院は通称です。
大師像から左に進むと荒神堂があり、三宝荒神が祀られています。
三宝荒神は、仏・法・僧の三宝を守護する仏神とされています。
三つの顔と六本の腕を備え、怒りの形相を示し、不浄を忌み、火を好むことから、
三宝荒神は、仏・法・僧の三宝を守護する仏神とされています。
三つの顔と六本の腕を備え、怒りの形相を示し、不浄を忌み、火を好むことから、
かまどの神として祀られることもあります。
不動堂の左側に展望台があり、正面に有馬富士が望めます。
花山法皇は、「有馬富士 麓の霧は海に似て 波かと聞けば 小野の松風」と
花山法皇は、「有馬富士 麓の霧は海に似て 波かと聞けば 小野の松風」と
詠みましたが、このような光景は冬の早朝に、
運が良ければ見ることができるそうです。
行きには気付かなかったのですが、バス道に出る手前に天満神社がありました。
手水舎
大歳神社の左側、山の小さな窪みに紙垂(しで)が垂らされていたのが
気になりました。
紙垂が垂らされた窪みの前に小さな祠がありました。
この神社の詳細は不明ですが、何か興味が引かれました。
バス道を横切って100mほど下って行くと、十二妃の墓があります。
大きな五輪塔が、寵愛した女御・藤原忯子(ふじわらの しし)の墓で、
その周囲は花山法皇を追ってここまで来た11人の女御のものとされています。
藤原忯子は、永観2年(984)に入内(じゅだい)し、
弘徽殿(こきでんの)女御と呼ばれました。
懐妊しましたが、寛和(かんな・985)元年に17歳の若さで亡くなりました。
懐妊しましたが、寛和(かんな・985)元年に17歳の若さで亡くなりました。
次回、一泊2日の行程で、花山法皇が滝籠りをされた那智の滝を再度訪れ、
熊野三山を巡りたいと計画しています。
また、寺社に液体をまく事件が発生しましたが、絶対に許せない!!
古来からの日本人の信仰に対して、冒涜するものであり、
また、寺社に液体をまく事件が発生しましたが、絶対に許せない!!
古来からの日本人の信仰に対して、冒涜するものであり、
日本の文化を破壊する行為でもあります。
犯人を絶対に逮捕して、厳罰に処してほしいと願います。
犯人を絶対に逮捕して、厳罰に処してほしいと願います。