松尾寺から国道27号線まで戻り、小浜方面へ向かうと県境のトンネルがあり、
トンネルを越えてしばらく進んだ左側に杉森神社があります。
神仏習合の名残を示す両部鳥居(りょうぶとりい)が建っています。
神仏習合の名残を示す両部鳥居(りょうぶとりい)が建っています。
国造りを行っていた時、少彦名神が常世の国へ去った後に現れ、
大国主命に「三輪山に祀れば国造りに協力する」と約束した神です。
明治初年の廃仏毀釈では、新政府の王政復古の方針から、
明治初年の廃仏毀釈では、新政府の王政復古の方針から、
旧来の本尊に替わって大物主神を祭神とした例が多くみられます。
杉森神社もそのような例の一つかもしれません。
杉森神社もそのような例の一つかもしれません。
境内には国の天然記念物に指定されているイチョウの木が聳えています。
画像にあるのは社殿西側にあるもので、もう1本は社殿の東方の山腹に立ち、
画像にあるのは社殿西側にあるもので、もう1本は社殿の東方の山腹に立ち、
いずれも天然記念物に指定されています。
残念ながらまだ若葉が出た頃で、銀杏の実物は見ることはできませんが、
残念ながらまだ若葉が出た頃で、銀杏の実物は見ることはできませんが、
銀杏が葉の上に結実することから「オハツキイチョウ」と呼ばれています。
イチョウは現生の裸子植物の中で最も起源が古く「生きている化石」ともいわれる、地球上にたった一族一種の貴重な樹木です。
杉森神社の「オハツキイチョウ」は、シダ植物、特にソテツシダに似た葉に
杉森神社の「オハツキイチョウ」は、シダ植物、特にソテツシダに似た葉に
実が付く原始的な性質を有する極めて貴重なイチョウだそうです。
背後の山の上には、第二次世界大戦時の砲台跡が残されているそうです。
27号線の後瀬山トンネルを通り抜けてすぐ、小浜伏原の信号を左折し、
その先の信号を左折した先に八幡神社があります。
車道に大鳥居が建ち、白壁の建物の脇に黒っぽい大きな狛犬が
存在感を見せています。
鳥居をくぐって進んだ先に、木製の大鳥居が建ち、
小浜市の文化財に指定されています。
この鳥居は、元禄7年(1694)に再建されたとの記録が残り、
この鳥居は、元禄7年(1694)に再建されたとの記録が残り、
明治42年(1907)の暴風によって倒壊したため、
柱の下部は石材に交換されています。
鳥居をくぐった所に神馬が奉納されています。
八幡神社の創建は神護景雲3年(769)に勧請されたのが始まりとされ、
八幡神社の創建は神護景雲3年(769)に勧請されたのが始まりとされ、
神護景雲4年(770)に勅使が参向した際に鹿毛の馬が奉納されたと
考えられています。
社殿は後瀬山(のちせやま)の麓に創建されました。
石段を上って、左右に置かれている狛犬は越前禿(えちぜんかむろ)に
分類されるものでしょうか?
越前(現在の福井県)には、笏谷(しゃくだに)石という細工しやすい
越前(現在の福井県)には、笏谷(しゃくだに)石という細工しやすい
柔らかい石を算出する場所がありました。
笏谷石を使った狛犬の特徴は、おかっぱ(禿)頭と、背中にぺったり
笏谷石を使った狛犬の特徴は、おかっぱ(禿)頭と、背中にぺったり
張り付いた紐のような細い尾にあるそうです。
宗像三神(多紀理比賣神、多紀都比賣神、市伎島比賣神)を祭神としています。
室町時代の応永2年(1395)に大鳥居が再建され、社殿が造営されたとの
室町時代の応永2年(1395)に大鳥居が再建され、社殿が造営されたとの
後瀬山城(のちせやまじょう)を築くと、歴代領主から
庇護を受けるようになります。
天文7年(1538)守護・武田信豊が太刀(銘吉入道宗長)一振(市文化財指定)を
天文7年(1538)守護・武田信豊が太刀(銘吉入道宗長)一振(市文化財指定)を
奉納し、同17年に大鳥居を再建しました。
永禄2年(1559)松永久秀の乱によって社殿は炎上し、
永禄2年(1559)松永久秀の乱によって社殿は炎上し、
由緒記等多くの文書が焼失しました。
天正20年(1592)国主・浅野長政の子長継・族臣家次が朝鮮出陣を前に
天正20年(1592)国主・浅野長政の子長継・族臣家次が朝鮮出陣を前に
一族の武運を祈り神殿を造営しましたが、社地が城郭に接近していたため、
拝殿が造営されました。
本殿の左側には、手前から若宮神社、栗島神社、伊勢神宮遥拝所をはさんで
天満神社と並んでいます。
本殿の右側には、手前から大山祗神社、松尾神社、三輪神社と並んでいます。
大山祗神社から右に進んだ所に稲荷神社があり、稲荷神社の左横、
奥の方に彦狭智(ひこさしり)神社があります。
稲荷神社の前方、右側に手前に神馬舎、その奥に船玉社があります。
神馬舎
船玉社には、弁才船(当地では千石船と言った)の模型が祀られています。
小浜は江戸時代から明治にかけて、日本海を舞台に国内交易を行い、
小浜は江戸時代から明治にかけて、日本海を舞台に国内交易を行い、
遠く北海道まで船を乗り出していた港町で、
航海の安全を祈り祀られるようになりました。
神馬舎から石段を下ると稲荷神社の朱の鳥居が建っています。
境内には神輿庫でしょうか?
毎年9月には若狭地方最大の祭礼である
毎年9月には若狭地方最大の祭礼である
「八幡神社放生会」(市無形文化財指定)が執行され、
大太鼓・神楽・山車・神輿の他に、武州川越から伝えられた獅子舞も奉納されます。
空院寺へ向かいます。
続く
続く