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長圓寺

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松原通を西に進み大宮通を越えて壬生川通の手前、南側に長圓寺があります。
山号を延命山と称し、浄土宗の寺院です。
江戸時代の慶長13年(1608)、京都所司代・板倉勝重が清巌和尚に帰依し、
土地を寄進して、本堂・庫裏・客殿などを建立したのが
始まりとされています。
寛永元年(1624)勝重没後、その法諱(ほうき)「長圓院」にちなんで
寺号を長圓寺としました。
天明8年(1788)に起こった天明の大火で焼失しましたが、
15世瑞誉上人の時に再建され、華頂宮博経親王から「長圓寺」の額を賜りました。
昭和6年(1931)にも出火しましたが、本堂・観音堂・山門は類焼を免れ、
翌年には再建されて現在に至っています。
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山門をくぐると右側に本堂があり、慈覚大師円仁作と伝わる阿弥陀三尊像が
安置されています。
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山号「延命山」の扁額が掲げられています。
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本堂の前に仏足石があります。
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本堂の横に観音堂があり、恵心僧都源信作と伝わる聖観音像が安置されています。
観音像は、洛陽三十三所観音霊場・第二十四番札所の本尊で、
国の重要文化財に指定されています。
平安時代・一条天皇の頃、平安京に疱瘡(ほうそう)が流行し、
大納言・藤原親衡(ちかひら)は、天台宗の高僧、恵心僧都源信
に依頼して観音像を作らせました。
親衡は、この観音像を宮中に祀り、21日間祈祷したところ、
疱瘡の流行は治まり、その後、比叡山に安置されました。
天正15年(1587)、応仁の乱で荒廃した京の町に、
三河の僧・清巌(大誉上人)が入ります。
上人は霊告を受け、比叡山にあったこの聖観音を京の町に持ち帰り、
小さな庵を建てて観音像を安置したのが観音堂の始まりとされています。
その後、板倉勝重が清巌を開基として長圓寺を創建しました。

西本願寺へ向かいます。
続く

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