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書写山・圓教寺-その1

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京都駅発5:43の快速・網干行に乗車、8:06に姫路駅に着き、陸橋を渡って
向かいにある神姫バス姫路駅前案内所でバス往復とロープウェイが
セットになった切符1,300円を購入しました。
次回、法華山・一乗寺で調べて気付いたのですが、姫路観光周遊ワイド
フリーキップ一日券1,200円があり、それを利用して
圓教寺と一乗寺を巡った方が割安になります。
コンビニで弁当を購入し、姫路駅北口発8:40のバスと書写ロープウェイを
乗り継いで、9:19山上駅に到着しました。
全長781m、高低差211mを4分足らずで運び上げてくれます。
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山上駅には展望台もあり、遠く姫路の海まで見渡せます。
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山上駅近くの広場には、書写山の麓に生まれた小説家・椎名鱗三の文学碑
「言葉のいのちは愛である」が建立されています。
昭和55年(1980)、椎名鱗三文学碑建立委員会が
岡本太郎に依頼して制作されました。
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入山料500円を納め、参道入口には鐘楼があり、
慈悲(こころ)の鐘と名付けられています。
平成4年(1992)10月に、世界平和祈願、浄佛国土建設を目指して建立されました。
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また、参道入口には「西国巡礼の道」と刻まれた石碑があり、
書写山・開創千年、西国三十三所観音霊場・中興千年、比叡山・開創1200年の
記念事業として建立されました。
参道には、西国三十三所観音霊場の各本尊の銅像が設置されています。
書写山・圓教寺は、康保3年(966)、性空の創建と伝わりますから、
昭和41(1966)前後に建立されたのでしょうか?
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最初に建っているのは、圓教寺の六臂(ろっぴ)如意輪観世音菩薩です。
それから参道の左右に第一番の青岸渡寺から最終の華厳寺まで順番に
建っていますので、拝みながら参道を進むと
仁王門までの時間が有意義に感じます。
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仁王門は、三間一戸の八脚門で、江戸時代初期の元和3年(1617)に
再建されたもので、兵庫県の文化財に指定されています。
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仁王像は室町時代の作で、姫路市の文化財に指定されています。
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仁王門をくぐった先、右側に壽量院があり、参道に面して門がありますが、
ここからは入れないようです。
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参道沿いの門から少し進んだ先にも門がありましたが、閉じられています。
壽量院の客殿と庫裏及び棟門(むなもん)は国の重要文化財に指定されています。
参道沿いの門が棟門でしょうか?
書寫塗りの器で料理を頂けるそうですが、5名以上で予約が必要とのこと、
コンビニ弁当を持参していますので、精進料理なんか気にならないと
やせ我慢を張りつつも、重文の建物は気になります。
壽量院は、圓教寺の塔頭の一つで、承安4年(1174)に後白河法皇が参籠した
との記録が残る格式の高い塔頭寺院です。
現在の建物は江戸時代に再建されたもので、唐破風の玄関を構え、
仏間を中心として中門を付けた書院造風の部分と、
台所を設けた庫裏の部分から成ります。
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壽量院の門の左側に東の五重塔と思われる礎石が残されています。
元徳3年(1331)に大講堂の横にあった西の五重塔に落雷し、
塔をはじめ大講堂・食堂・常行堂を焼失しました。
その後、永正10年(1513)に、この地に五重塔の再建が計画され、
土台の造営まで行われました。
播磨国書写山伽藍之図には、五重塔もしくは多宝塔が描かれていますが、
記録では壽量院横の五重塔は建設されなかったようです。
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参道を進んだ左側に旧・金輪院の円教寺会館があり、5人から宿泊ができ、
坐禅、写経、法話などの設定もできるそうです。
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円教寺会館の先、右側に塔頭の十妙院があり、客殿と庫裏及び唐門は
国の重要文化財に指定されています。
赤松満祐(みつすけ)が僅か16歳で亡くなった女の冥福を祈るために
建てたものとされ、天正7年(1579)に正親町天皇(おおぎまちてんのう)より
「岡松院(こうしょういん)」の勅号を賜りました。
第106世・長吏実祐(ちょうりじつゆう)により中興され、実祐は住房とし、
実祐を中興第一世とされています。
永禄元年(1558)に正親町天皇より「十妙院」の勅号を改めて賜りました。
本尊は、千手観音で、脇侍は毘沙門天、将軍地蔵が安置されています。
塔頭寿量院と左右逆ですが、ほとんど同じ平面構成であり、
寿量院とともに、圓教寺独特の塔頭形式を持っています。
方丈・部の室には、狩野永納筆の襖絵があり、上段の間(一の間)に
四季山水図、中段の間(二の間)に唐人物図、下段の間(三の間)に
着彩花鳥図が措かれていて、兵庫県の文化財に指定されています。
普段は閉門されていますが、特別公開の日には襖絵などの拝観もできるそうです。
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更に参道を進んだ先に、鎌倉時代の延慶4年(1311)の記念銘のある
石造り傘塔婆があり、兵庫県の文化財に指定されています。
総高153cmあり、石柱の中に阿弥陀如来像が浮き彫りされ、
笠のような石が載せられています。
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傘塔婆の先に護法石が有ります。
直径約1mの2つの石で、不動明王の化身である乙天(おつてん)と
毘沙門天の化身である若天(わかてん)の2童子が降り立ったと伝わります。
また、弁慶がお手玉にしたとも伝わり、弁慶のお手玉石とも呼ばれています。
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護法石の先で、湯屋橋と呼ばれる石橋を渡ります。
湯屋橋と呼ばれる由縁は、かってこの付近に湯屋があったことによるものです。
元和3年(1617)に姫路城主となった本多忠政は、元和6年(1620)に書写山に
参詣して、その荒廃ぶりに驚き、寄進を募り復興に尽力されました。
湯屋橋もこの時再興されました。
荒廃の原因となったのは、天正6年(1578)に三木城の別所長治離反に対し、
羽柴秀吉が当地に要害を構え布陣したことによるものです。
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橋を渡った右側にはづき茶屋があります。
はづき(端月)の名は、性空作「冥(くら)きより冥き道にぞ入りぬべき
遙かに照らせ山の端の月」からとられました。
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はづき茶屋の向かいに、三十三所堂があり、西国三十三所観音霊場の
各本尊が安置されています。

湯屋橋の正面にある石段を上り、摩尼殿へ向かいます。
続く

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