向日神社が鎮座する向日山は、大歳神(おおとしのかみ)の子、
御歳神(みとしのかみ)が峰に登り、向日山と名付けました。
神は永く鎮座し、田作りを推奨し、やがて、
神は永く鎮座し、田作りを推奨し、やがて、
神々の土地の故事により、向日山麓に社を建てて
火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)を祀られ、火雷神社が創建されました。
この両社は、同じ向日山に鎮座されたので、向神社は上ノ社、
火雷神社は下ノ社と呼ばれていました。
上ノ社は、五穀豊穣の神として、
上ノ社は、五穀豊穣の神として、
下ノ社は、祈雨・鎮火の神として信仰を集めました。
長岡京よりも古い奈良時代の養老2年(718)、六人部氏(むとべし)が当地を賜り、
上ノ社の社殿が改築され、新殿遷座の際、玉依姫命(たまよりひめのみこと)と、
神武天皇が合祀されました。
鎌倉時代の建治元年(1275)、下ノ社が荒廃したことにより火雷大神は、
上ノ社に合祀され、以降四神を祀る、向日神社として今日に至っています。
向日神社の鳥居には、「正一位向日大明神」の神額が掛かっています。
鳥居をくぐった所に、岐阜県揖斐川町春日の山中から掘り出された、
さざれ石が置かれています。
春日のさざれ石には、君が代の由来となったものがあります。
さざれ石とは、もともと小さな石の意味でしが、石灰岩が雨水で溶解して生じた、
春日のさざれ石には、君が代の由来となったものがあります。
さざれ石とは、もともと小さな石の意味でしが、石灰岩が雨水で溶解して生じた、
粘着力の強い乳状液が少しずつ小石を凝結していき、
石灰質の作用によってコンクリート状に固まってできたものです。
参道には、御影石が敷きつめられ、緩やかな上り坂が約200m続いています。
向日神社は、南北に延びる丘陵の南端にあります。
向日神社は、南北に延びる丘陵の南端にあります。
この丘陵は、古来より「長岡」と呼ばれ、
長岡京は、この丘陵に由来して名付けられたと推察されます。
参道の両側は、春は桜、秋は紅葉を楽しむことができますが、
長岡京は、この丘陵に由来して名付けられたと推察されます。
参道の両側は、春は桜、秋は紅葉を楽しむことができますが、
自動車も通るのが残念です。
参道を8割ほど進んだ右側に勝山稲荷社があります。
勝山稲荷社-拝殿
勝山稲荷社-本殿
勝山稲荷社は、江戸時代の正徳元年(1711)に創建され、
拝殿と本殿は国の重要文化財に指定されています。
勝山稲荷社の奥には元稲荷社があります。
元稲荷社には、小さな狐像が数え切れないほど奉納されています。
勝山とは、豊臣秀吉が鳥居の前で休憩した時、
「あの森は何というのか」と鎮守の森の名を問うた。
「勝山でございます」と答えると、縁起の良い名だといって褒美を与え、
「勝山でございます」と答えると、縁起の良い名だといって褒美を与え、
以後勝山になったという逸話が残っています。
続く