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大光明寺

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大光明寺は、山号を梵王山(ぼんおうざん)と号する相国寺の塔頭寺院です。
本尊は普賢菩薩で、京都十三仏霊場・第四番札所となっています。
相国寺が建立される以前の暦応2年(1339)、後伏見天皇女御の
広義門院 西園寺 寧子(さいおんじ ねいし/やすこ)が夫の
第93代・後伏見天皇の菩提を弔うために創建し、
伏見宮家歴代の菩提寺となりました。
皇后の法号「大光明院」を寺号としました。
西園寺寧子は、後伏見上皇の女御であり、光厳天皇及び光明天皇の実母です。
伏見殿(伏見区桃山町)に居住し、隣接する場所に大光明寺を建立しました。
伏見殿は光厳上皇が後に伏見宮家の始祖となる栄仁親王(よしひとしんのう)へ
と譲られました。
応永8年(1401)、伏見殿と大光明寺が焼失し、栄仁親王は応永16年(1409)に
大光明寺の塔頭・大通院を建立しました。
応仁の乱で荒廃した後、文禄年中(1592~1596)に豊臣秀吉が伏見城を
築城するに伴い、大光明寺が再興されました。
江戸時代の元和年中(1615~1624)に徳川家の外護を受け、
大光明寺と大通院は相国寺の境内へと移されました。
徳川家康が辰年生まれだったことから、辰年と巳年生まれの方の守り本尊と
されている普賢菩薩を本尊としたと伝わります。
天明の大火によって焼失し、明治39年(1906)になって、伏見宮家の菩提所に
なっていた心華院(しんげいん)と廃絶していた
常徳院と大光明寺の三寺が合併して、心華院の寺域・伽藍を改め
大光明寺として再興されました。
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山門を入ると正面に中門があり、中門の手前に玄関があります。
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中門の奥、本堂前には「峨眉山(がびさん)の庭」と名付けられた
枯山水の庭があります。
峨眉山は中国にある仏教の聖地で、普賢菩薩の霊場とされています。
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庫裡内部

神仏霊場・第98番札所の大聖寺へ向かいます。
続く

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