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上賀茂神社-その2

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二の鳥居をくぐった右側に寛永5年(1628)に造替えられた
楽屋(がくのや)があり、国の重要文化財に指定されています。
一切経楽屋とも呼ばれ、神仏習合時代に神宮寺の供僧方が用いていました。
明治の神仏分離令により神宮寺が廃絶され、
明治13年(1880)に改修が行われています。
二の鳥居から内側にある建物や社殿の殆どが国の重要文化財に指定されています。
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鳥居からやや左前方に寛永5年(1628)に造替えられた細殿(ほそどの)があり、
国の重要文化財に指定されています。
細殿は拝殿とも呼ばれ、天皇、上皇、斎王のみが昇殿を許されていました。
葵祭では斎王代の著到殿(ちゃくとうでん)として使用されます。

社殿前の立砂は、盛砂とも呼ばれ、右側には二葉、
左側には三つ葉の松葉が先端にさしてあります。
平安遷都以前、まだ拝殿が建設される以前は、ここに2本の柱が建てられ、
その根元を盛砂で支えていました。
それが正月飾りの門松の起源ともされています。
御神体の神山を象徴するもので、神を迎えるための依り代となる
神籬(ひもろぎ)になります。

左側の立砂の背後、苔が植えられている場所は「坪の内」と呼ばれ、
4月3日に行われる「土解祭(とげさい)」では稲の脱穀が行われます。
土解祭は、土地が作付けに適している土解けの時期に、土の災いを祓い、
豊穣を祈願する祭礼です。
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細殿の右側に文久3年(1863)に造替えられた舞殿(橋殿)があり、
国の重要文化財に指定されています。
御手洗川を跨いで建てられ、葵祭の時に勅使の拝殿になり、
紅紙御祭文(くれないしのごさいもん)が奏上されます。
御祭文の用紙は、すでに平安中期(10世紀)にまとめられた『延喜式』に
記されており、伊勢神宮が縹(はなだ)色、賀茂両社が紅(くれない)色、
その他の石清水八幡宮などが黄色と定められています。
また、東遊びも奉納されます。
ならの小川の上流は御手洗川と呼ばれ、舞殿の上流で
御物忌川(おものいがわ/おものいみがわ)が合流しています。
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舞殿の右側に寛永5年(1628)に造替えられた土屋(つちのや)があり、
国の重要文化財に指定されています。
往古より神主以下社司の著到殿として使用されてきました。
現在は祭事で神職の祓所(はらえど)として使われています。
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舞殿の両側に橋が架けられています。
右側の橋は「祝橋(ほうりばし)」、左側は「禰宜橋(ねぎばし)」と
名付けられています。
禰宜橋は神事の際、神職が渡ります。
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橋を渡ると楼門が見てきますが、上賀茂神社では平成32年3月まで
第42回式年遷宮が行われています。
上賀茂神社では、平安中期の後一条天皇が長元9年(1036)に、
21年ごとの式年遷宮を定められたと伝えられています。
しかし、不定期な修理遷宮が長らく繰り返されてきました。
幕末の文久3年(1863)には、孝明天皇から21年目ごとの遷宮を申請されましたが、
明治時代には一度も行われませんでした。
建物の多くが国宝や重要文化財に指定されているため、
現在では造替えは行われず、主に屋根の葺き替え等が施されています。
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橋を渡った正面に岩上(がんじょう)があります。
葵祭の際に宮司はこの岩の上に蹲踞(そんきょ)し、
勅使と対面して御祭文に対して「返祝詞(かえしののりと)」を申す
神聖な場所です。
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岩上から山裾を廻りこんだ所に摂社・片山御子神社があります。
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本殿
賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)の母神である
玉依比売命(たまよりひめのみこと)を祭神とし、縁結び、子授け、
家内安泰の神とされています。
社殿は国の重要文化財に指定されています。
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片山社から石段を上った所に摂社・須波神社があります。
祭神は平安京・宮中の西院に座摩神(いかすりのかみ/ざまのかみ)が
祀られていた、波比祇神(はひきのかみ)、阿須波神(あすはのかみ)、
生井神(いくゐのかみ/いくいのかみ)、
福井神(さくゐのかみ/さくいのかみ)、
綱長井神(つながゐのかみ/つながいのかみ)と同じです。
総じて神域守護の神とされています。
また、神社前の立札には癒しの神ともされています。
社殿は国の重要文化財に指定されています。
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片山御子神社前に架かる片岡橋は国の重要文化財に指定されています。
橋を渡って少し北へ進んだ所に末社の川尾神社があります。
祭神は罔象女神(みつはのめのかみ)で、日本の代表的な水の神です。
脇を流れる御物忌川(おものいがわ/おものいみがわ)を守護しています。
社殿は国の重要文化財に指定されています。
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川尾神社の北側に伊勢神宮遥拝所があります。
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遥拝所から左側へと曲がった所に新宮門があり、
国の重要文化財に指定されています。
門の中に摂社の新宮神社と末社の山尾神社がありますが、門は閉ざされています。
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門の隙間から正面の新宮神社は望めますが、
山尾神社は左奥にあるので門からは見えません。
新宮神社の祭神は、罔象女神(みつはのめのかみ)とともに日本の代表的な
水の神である高龗神(たかおかみのかみ)で、貴船神社から分祀されました。
社殿は国の重要文化財に指定されています。

山尾神社の祭神は大山津美神(おおやつみのかみ)で、
おおやまつみとは「大いなる山の神」という意味があり、山の守護神となります。
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楼門まで戻ります。
楼門の前に架かる玉橋は、寛永5年(1628)に造替えられ、
国の重要文化財に指定されています。
神事の際、神職のみが渡るのを許されています。
楼門は寛永5年(1628)に造替えられ、国の重要文化財に指定されています。
右側の東回廊と左側の西回廊は、現在は式年遷宮で左右の回廊の屋根の
葺き替え工事が行われています。
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本宮は御手洗川と御物忌川の三角州にあり、西にやや傾いています。
楼門を入った右側(東側)に幣殿があり、更にその奥に
忌子殿(いこでん)があり、二つの建物は「取合(とりあい)」と
呼ばれる廊下で結ばれています。
左側(西側)には高倉殿があります。
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楼門を入った正面に中門があります。
中門の右脇に末社の棚尾神社があります。
祭神は、櫛石窓神(くしいわまどのかみ)と豊石窓神(とよいわまどのかみ)で、
家屋に悪霊が入らないように守護する神、門を護る神とされています。
中門と左右に繋ぐ東局と西局は寛永5年(1628)に造替えられ、
国の重要文化財に指定されています。
中門の右側は御籍屋(みふだのや)で、「東局」とも呼ばれ、
現在は神前結婚式場として使用されています。
東局の端には神宝庫があります。
左側は直会殿(なおらいでん)で、「西局」とも呼ばれ、
祭典終了後に神職及び参拝者が直会(御神酒)を戴く所となっています。
直会殿の西側に楽所、西御供所があります。
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東側には祝詞舎があり、「透廊(すいろう)」と呼ばれる廊下が正面へと伸び、
その先、右に本殿、左にその修理に際して神様を臨時に祀る
権殿(ごんでん)が並んでいます。
本殿及び権殿は国宝に指定されています。
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楼門を出て細殿の裏側辺りの所に末社の橋本神社があります。
祭神は衣通姫神(そとおりひめのかみ)で、本朝三美人の一人とも称され、
その美しさが衣を通して輝くことからこの名の由来となっています。

京都十二薬師霊場・第8番札所の大超寺へ向かいます。
続く

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