稱名寺の前の通りを北へと進むと、広い四つ角に出ます。
四つ角の先に水道のタンクがあり、その先に水路に架かっている
「たまきはし」を渡り、二筋目を右折します。
右折した先の細い路地を右折するとクランク状に曲がっていて、
右折した先の細い路地を右折するとクランク状に曲がっていて、
その角に釈迦堂があります。
釈迦堂縁起によると「鎌倉時代の弘安元年(1278)、東福寺の普門仏心禅師に
帰依した東又左衛門入道普善らは、禅師の勧めを待たず、三間五間の堂を建立し、
春日作の釈迦像と達磨像を安置して、将来禅学を志す者のための観法を
修する道場となす」とあります。
現在のお堂は昭和56年に、境内が整備され、石垣を積んで新しく建立された
現在のお堂は昭和56年に、境内が整備され、石垣を積んで新しく建立された
のですが、随分小さくなりました。
釈迦堂から北に進むとT字路になり、左折した先の右側突き当たりに
光福寺があります。
光福寺は、浄土真宗本願寺派の寺院で、山号を智相山と号します。
光福寺は、江戸時代の享保15年(1730)に現在地に移転した事が
光福寺は、江戸時代の享保15年(1730)に現在地に移転した事が
「光福寺再建願状」に記されていますが、それ以前の詳細は不明です。
寛延4年(1751)に、再建工事が認可され、
宝暦12年(1762)に本堂が再建されました。
昭和36年の第二室戸台風で鐘楼が倒壊し、その後は再建されていないようです。
現在の本堂は、 文化6年(1809)に拡幅工事がなされたものを、
昭和36年の第二室戸台風で鐘楼が倒壊し、その後は再建されていないようです。
現在の本堂は、 文化6年(1809)に拡幅工事がなされたものを、
平成2~3年にかけて解体修理が行われたものです。
境内には十三重石塔があり、花梨の木は大きな実を付けていました。
光福寺から元来た通りまで戻り、右折した先に北向き毘沙門堂があります。
毘沙門天は、北方守護神として崇敬されていて、北方を背にして南方を
睥睨(へいげい)するのが一般的ですが、こちらの毘沙門堂は
北向きに建てられています。
珠城縁起」によると、「鎌倉時代の元宏元年(1331)9月、
楠木正成は勅により河内国より笠置の皇宮に参向する途中、
朝敵追討を祈願するために珠城神社に拝礼した後、
武運長久のため毘沙門天を刻み、
一社を建て「北向きの毘沙門天」と称した」と伝わります。
残念ながら、毘沙門天像が納められた厨子の扉は閉められて
残念ながら、毘沙門天像が納められた厨子の扉は閉められて
秘仏とされていますが、岩盤の上に立つ像高93.5cmの
一木造りの像で彩色されているそうです。
お堂の前には石仏などが安置されています。
敷地には楠木正成にちなんでクスノキが植えられています。
敷地には楠木正成にちなんでクスノキが植えられています。
毘沙門堂の向かいに「伝承 和気清麻呂薨去(こうきょ)地」
との石柱が建てられています。
毘沙門堂から北側の地名が「久御山町市田和気」であり、
和気清麻呂との深い由縁を感じさせます。
毘沙門堂から先に、角に燈籠が立つT字路を左折した先に珠城神社があります。
奈良市にある垂仁天皇の宮(皇居)の名称は、『日本書紀』では
纒向珠城宮(まきむくのたまきのみや)で、珠城神社は宮城跡とされています。
珠城神社縁起によると、「山代大筒城真若王(やましろおおつつきまわかのみこ)
珠城神社縁起によると、「山代大筒城真若王(やましろおおつつきまわかのみこ)
が垂仁天皇崩御の後、その神霊をこの地に祀ったのが始まりとされています。
垂仁天皇の宮が珠城宮だったことから珠城神社と称したと伝わります。
平安時代の延暦18年(799)、和気清麻呂の没後、
垂仁天皇の宮が珠城宮だったことから珠城神社と称したと伝わります。
平安時代の延暦18年(799)、和気清麻呂の没後、
藤原葛野麻呂(ふじわらのかどのまろ)が勅使となり護法神社として、
珠城神社に並べて社殿が造られました。
その後、僧・行賀により神宮寺として護王寺を建立し、
その後、僧・行賀により神宮寺として護王寺を建立し、
本尊として薬師仏を安置しました。
治承4年(1180)、兵火により珠城神社と護王寺は焼失しましたが、
治承4年(1180)、兵火により珠城神社と護王寺は焼失しましたが、
文治元年(1185)に源頼朝によって再建されました。
しかし、室町時代の天正元年(1573)、宇治・槇島(まきしま)の戦いで
しかし、室町時代の天正元年(1573)、宇治・槇島(まきしま)の戦いで
再び焼失してからは再建されず、江戸時代には祭神は
雙栗神社(さぐりじんじゃ)へ預けられることになりました。
享保4年(1719)に市田村の氏子は、神輿を造営して雙栗神社の神事に
享保4年(1719)に市田村の氏子は、神輿を造営して雙栗神社の神事に
加わった記録が残されています。
昭和42年(1967)10月、ようやく珠城神社は再建されました。
拝所には無料のおみくじが置かれていて“凶”を引いてしまいました...。
本殿
祭神は、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりびこいさちのみこ・垂仁天皇)と
祭神は、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりびこいさちのみこ・垂仁天皇)と
和気清麻呂が祀られています。
本殿の右横には、右側に稲荷社(下)と左側に皇大神宮社(上)が祀られています。
樹木の幹周りの太さが歴史を感じさせます。
珠城神社の本殿の左側から出ると水路沿いの遊歩道に出て、
その先の広い通りを第二京阪道路の下をくぐって常盤神社へ向かいます。
続く
続く