叡山電鉄貴船口駅で下車し、鞍馬街道へと出ます。
この街道は、貴船神社と鞍馬寺の参詣道として、また若狭への交通の要衝として
この街道は、貴船神社と鞍馬寺の参詣道として、また若狭への交通の要衝として
古くから開けていました。
しかし、地元の人によると40~50年前までは、道の真ん中で犬が昼寝を
しかし、地元の人によると40~50年前までは、道の真ん中で犬が昼寝を
しているほど、交通量も少なくのんびりとした風景だったそうです。
熊も時々、様子を見に?現れていたそうです。
俄に訪れた観光ブームで、交通量が急激に増加し、市原から貴船の手前までは
俄に訪れた観光ブームで、交通量が急激に増加し、市原から貴船の手前までは
山と鞍馬川に挟まれた狭い谷筋を通ることから、交通渋滞が慢性的になり、
平成14年、この間にトンネルが新設され、市原バイパスが開通しました。
計画では、バイパスは鞍馬温泉まで延伸されるそうです。
ついでに花背峠もトンネルが造られると、「トンネルを抜けると雪国だった」
計画では、バイパスは鞍馬温泉まで延伸されるそうです。
ついでに花背峠もトンネルが造られると、「トンネルを抜けると雪国だった」
の光景に出会えるかもしれません。
街道から貴船神社へ向かうのに渡る梶取橋(かじとりはし)は、
平成7年に拡張され、鳥居が建つ位置と参道が少しずれています。
梶取橋は、昭和10年(1935)の豪雨で梶取社と共に流され、2年後に復旧されました。
拡張された現在の橋は、長さ32m、幅員11mあり、
梶取橋は、昭和10年(1935)の豪雨で梶取社と共に流され、2年後に復旧されました。
拡張された現在の橋は、長さ32m、幅員11mあり、
神社の入口に相応しい造りで架けられました。
一の鳥居は、昭和14年(1939)に再建されました。
社伝では第18代反正天皇(はんぜいてんのう)の時代(約1600年前)に
社伝では第18代反正天皇(はんぜいてんのう)の時代(約1600年前)に
浪速(なにわ)の津に黄色い船に乗った神が現れ
「我は玉依姫(たまよりひめ)なり。
この船の止まる所に祠を造れば、国土を潤し、庶民に福運を与えん」
この船の止まる所に祠を造れば、国土を潤し、庶民に福運を与えん」
と言われ淀川を遡ってこの地にいたり、鞍馬に向けられていた梶を巧みに操り、
貴船川を遡るように切られたことから、橋の袂には「梶取社」が祀られ、
この橋は「梶取橋」と呼ばれるようになりました。
貴船川を遡った黄色い船は、清水が湧き出る“龍穴”の上に社殿を建て、
貴船川を遡った黄色い船は、清水が湧き出る“龍穴”の上に社殿を建て、
水神を祀り、黄色い船から「黄船の宮」と称されました。
梶取社の祭神は、稲荷神の宇賀魂命(うかのみたまのみこと)ですが、
古くは梶取大神が祀られ、航海や交通安全、人生の進路の守護神として
信仰されています。
叡山電鉄の貴船口駅を見つつ線路をくぐり先に進むと参道は貴船川沿いに続き、
その先に「蛍岩」があります。
平安時代に、宮廷の女流歌人の和泉式部が貴船神社に参詣して恋の成就を祈り、
歌を詠んだのが、この蛍岩近辺だといわれ、現在でも蛍の名所になっています。
「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」
「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」
やがて、参道は貴船川を渡ります。
橋の名は、「梅ノ宮橋」で付近に梅宮社があり、句碑が建っています。
橋の名は、「梅ノ宮橋」で付近に梅宮社があり、句碑が建っています。
「花ごもり 実の二つみつ 梅乃宮」
この句の作者は句碑には刻まれていませんが、「花ごもり」とは樋口一葉の造語で、明治27年(1894)に発行された同名誌から採られたものと思われます。
祭神は木花咲耶姫命(このはさくやひめのみこと)で、安産の神とされています。
貴船の谷には貴船口から三町(約327m)ごとにお宮があります。
この句の作者は句碑には刻まれていませんが、「花ごもり」とは樋口一葉の造語で、明治27年(1894)に発行された同名誌から採られたものと思われます。
祭神は木花咲耶姫命(このはさくやひめのみこと)で、安産の神とされています。
貴船の谷には貴船口から三町(約327m)ごとにお宮があります。
次の橋は「蛇ヶ谷橋」ですが、その名称から貴船川が“暴れ川”だったと
想像されます。
橋を超えた対岸に白石社があります。
歌の祖神とされる下照姫命(したてるひめのみこと)が祀られていますが、
歌の祖神とされる下照姫命(したてるひめのみこと)が祀られていますが、
付近に祠へと渡る橋はありません。
「お参りしたければ、冷たい川を渡ってでも来なさい」とでも言われているように
「お参りしたければ、冷たい川を渡ってでも来なさい」とでも言われているように
凛として佇んでいるように見えます。
先には、貴船料亭街の玄関口に当たる「べにや」があり、その先に
「烏帽子岩」があります。
昔は参拝者が水を浴びて身を清めた所であり、また、大宮人が烏帽子を下して
この岩の上に置き身を清めた所でもあります。
今は、対岸にあるので水を浴びなくても良いようです...?
今は、対岸にあるので水を浴びなくても良いようです...?
「烏帽子岩」の先に鞍馬寺西口があります。
二ノ鳥居は、昭和64年(1989)に再建されました。
鳥居の左側には樹齢700年と伝わる御神木の杉の巨木が聳えています。
幹に口のようなものが見え「ようこそ」と歓迎してくれているように
見えます。
鳥居の右側に白髭社があったのですが、写真を撮り忘れました。
祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)で、「古事記」及び「日本書紀」の
祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)で、「古事記」及び「日本書紀」の
葦原の中つ国(地上)を治めるために高天原(天界)から日向(ひむか)国の
高千穂峰へ天降(あまくだ)ったこと。
邇邇藝命は、天の八衢(やちまた)と呼ばれる、いくつにも分かれている道で
邇邇藝命は、天の八衢(やちまた)と呼ばれる、いくつにも分かれている道で
立ち往生していたところ、猿田彦命が邇邇藝命の道案内をするために
現れたとされています。
その神の鼻の長さは七咫(ななあた)、背(そびら)の長さは七尺(ななさか)、
その神の鼻の長さは七咫(ななあた)、背(そびら)の長さは七尺(ななさか)、
目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、また赤酸醤(あかかがち)のように
照り輝いているという姿から天狗の原形とする説があります。
続く