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久御山町-その13(荒見神社~専念寺)

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称名寺から西に進み、四つ角を左折して直進すると、
用水路沿いの斜めの道に突き当たります。
斜めの道を右折し、直進すると両側にグランドがあり、
その先でT字路に突き当たります。
用水路沿いに進み、一筋目を右折し、その先のT字路を左折した先に
田井公会堂があり、その横に荒見神社の鳥居が建っています。
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鳥居をくぐった右手に、万葉歌碑が平成3年6月に建てられました。
「巨椋(おほくら)の入江響(とよ)むなり射目人(いめひと)の
伏見が田井に雁(かり)渡るらし」と田井にちなんだ歌が詠まれています。
イメージ 3
参道を進んだ先に社務所がありますが、安政4年(1857)の田井村寺社明細帳には
「真言宗・無本寺薬師堂」との記述が見られます。
明治維新までは、境内に薬師堂、お旅所に地蔵堂がありましたが、
神仏分離後に薬師堂は移設・改築されて社務所になりました。
地蔵堂は廃され、本尊の地蔵菩薩像は次に伺う円福寺に移安されました。
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社務所の前に祀られているのは、弘法大師の石像でしょうか?
神社に祈願して病気が治った信者が寄進したとされているのですが、
長年の風雨にさらされ、弘法大師像と見分けるのが難しくなっています。
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石像の隣には小さな祠があります。
厳島神社でしょうか?何も標記がありません。
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社務所の先に、荒見神社の石碑が建てられています。
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石碑の前で直角に左側に曲がると前方に割拝殿、そして本殿へと続きます。
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割拝殿を抜けた右手に天満宮の社殿があり、その前に建つ石灯籠には
旧社名である「五社大明神」と刻まれています。
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向拝所は唐破風(からはふ)造りで、境内に厳かな雰囲気を与えています。
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荒見神社は奈良時代の和銅6年(713)に、「荒海の社・祗(くにつ)の社 
み名は大歳の神なり」と山城国風土記に記されています。
平安時代の延長5年(927)に記された延喜式神名帳に、
「山城国久世郡 荒見神社」とありますが、城陽市富野にも同名の神社が
あり、二社による論社がありましたが、明治10年(1877)に当社が
式内・荒見神社と認定されました。
江戸時代の寛永7年(1630)、木津川の洪水により社殿が流失しました。
その後、寛文4年(1664)に現在地に社殿が、五社大明神社として造営されました。
旧鎮座地は、ここより南方向、府道宇治・淀線の南側に西荒見・東荒見の地名が
残されている付近と考えられています。
現在の本殿はその時のもので、五社の祭神が祀られています。
春日大社(武甕槌命・たけみかづちのみこと)、
上賀茂神社(別雷大神・わけいかづちのおおかみ)、
稲荷大社(倉稲魂命・うがのみたまのみこと)、
平野神社、石清水八幡宮(応神天皇)、仲哀天皇。
明治初年に五社大明神社から、荒見神社に復しました。
創建当時の荒見神社は、大歳神を祭神としていたようです。
大歳神は、来方神(毎年正月に各家にやってくる来方神。
歳徳(とんど)さんとも呼ばれる)、穀物神(年の始めにその年の豊作
を祈念)、祖霊(家を守ってくれる祖先の霊)とされています。
その名残なのか荒見神社では、1月15日に左義長(とんど)が行われています。
門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって
炎と共に見送る意味があるとされています。
また、久御山町史によると、社名の荒見とは荒水の転訛で、
しばしば洪水を被ることから、「水神を祀ったのが当社の起こり」と
する伝承も残されています。
久御山はかって、「三年に一度、平年作であれば良い」と言われるほど
洪水の多発地帯でした。
荒見神社は、洪水を鎮め、五穀豊穣を願って創建されたのだと思われます。
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本殿の左側に立つ御神木。
堂々とした幹周りです。
田井公会堂の前の道を進んだ先に円福寺があります。
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円福寺は、寺伝によると平安時代の天長元年(824)に弘法大師によって
真言宗寺院として創建されました。
江戸時代の寛永元年(1624)に発生した大洪水により、
堂宇と仏像の全てが流失しました。
荒見神社が流失した年代と微妙に異なるのが気になります...。
その後、阿弥陀如来を本尊とし、観音菩薩・勢至菩薩を脇侍とする
浄土宗の寺院として再建されました。
現在の本堂は、入母屋造り、書院を併設した50坪余りの建物で、
平成7年に新築されました。
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円福寺の第21世住職の釜屋了貫は、神奈川県厨子で竹久夢二と知り合い、
夢二は大正5年から昭和3年にかけて度々逗留しました。
夢二の作品の中に、円福寺で制作されたものがあるのかもしれません。
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円福寺の先に専念寺があります。
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専念寺は、室町時代の天文18年(1549)に御牧勘兵衛の父浄念によって、
京都市東山区の一心院の末寺として創建されました。
御牧勘兵衛の父・摂津守益景は、山城地方に浄土宗の布教を務めた
縁誉称念上人に深く帰依し、法名を浄念としました。
浄念は、一心院の開基・称念に帰依し、浄土宗捨世派の専修道場としました。
寺伝によると、豊臣秀吉が造営した聚楽第の御殿の一部を、
天正15年(1587)に御牧勘兵衛が移築したと伝わります。
御殿が樫の木で造られていたことから、「樫寺」と呼ばれたとも伝わります。
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専念寺も洪水で被害を受け、江戸時代に再建されましたが、
現在の本堂は歴史を感じさせない近代的な建物になっています。
本尊は、鎌倉時代作の阿弥陀如来立像で、絹本薯色阿弥陀三尊来迎図
(掛軸装・室町時代)が寺宝として所蔵されています。
また、本堂に安置されている聖観音像は、「安産に霊験あらたか」
との伝承が残されています。
この観音像は、慈覚大師円仁が唐で修行中に刻んだ像で、帰国後文徳天皇の勅に
よって皇后の安産祈祷を行い、無事に出産されました。
慈覚大師入滅後、この像は土佐国の堂宇に安置されていたのですが、
専念寺18世皆誉上人によって修復が行われ、後代住職のために記した
「観世音縁起」として伝えられています。
久御山町役場前から京阪淀駅までバスで帰る予定でしたが、
スーパーイワキの前で下車しました。
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淀の八大龍王神社のイチョウの木が綺麗に色付いていました。

次回は京阪電車の「鞍馬・貴船1dayチケット」を利用して貴船神社から鞍馬寺を
訪ねたいと思います。
続く


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