大杉権現社の付近は、大杉苑瞑想道場と呼ばれ、護法魔王尊のエネルギーの
高い場所とされています。
かって樹齢千年と云われる三本の幹の巨木が聳えていました。
この杉は、護法魔王尊影向(ようごう)の杉として信仰されていましたが、
この杉は、護法魔王尊影向(ようごう)の杉として信仰されていましたが、
昭和25年の台風で折れてしまいました。
大杉権現社の境内。
枯れた幹が芸術作品のようです。
奥の院参道に戻った先に「背比べ石」があります。
牛若丸が鞍馬寺に預けられて10年余り、16歳になり奥州の藤原秀衡を
牛若丸が鞍馬寺に預けられて10年余り、16歳になり奥州の藤原秀衡を
頼って鞍馬寺を出奔する際、名残を惜しみ背比べをした石と伝わります。
高さ1.2mで、現在の七歳児の平均身長くらいしかありません。
源義経が着用した鎧から身長は147cmと推定されています。
高さ1.2mで、現在の七歳児の平均身長くらいしかありません。
源義経が着用した鎧から身長は147cmと推定されています。
背比べ石は石英閃光緑岩で、この付近の地層は、砂岩に石英閃光緑岩が
マグマの貫入により硬化したため、根が露出していて「木の根道」と
呼ばれています。
この地蔵堂が建つ地は、屏風坂と呼ばれ、かって一枚岩の屏風を立てたような
急坂であったことから名付けられました。
地蔵堂を下った所に「息継ぎの水」が湧き出ています。
牛若丸が天狗から剣術の手解きを受けるために、僧正ガ谷へと通ったのですが、
牛若丸が天狗から剣術の手解きを受けるために、僧正ガ谷へと通ったのですが、
ここの湧水で喉を潤したと伝わります。
上に見えるブルーの建物の土台が地蔵堂です。
門への石段の脇に与謝野晶子の書斎であった冬柏亭(とうはくてい)が
移築されています。
冬柏亭は、昭和4年12月、与謝野晶子50歳の時、弟子から贈られ、
冬柏亭は、昭和4年12月、与謝野晶子50歳の時、弟子から贈られ、
当時の東京市外荻窪村(現・杉並区荻窪)の居宅内に建てられました。
晶子没後、昭和18年10月に、冬柏亭は、門下生の岩野喜久代氏によって、
晶子没後、昭和18年10月に、冬柏亭は、門下生の岩野喜久代氏によって、
大磯にある氏の住居へ移されました。
更に、昭和51年4月、同じ門下生であった信楽香雲先代管長とのご縁で
更に、昭和51年4月、同じ門下生であった信楽香雲先代管長とのご縁で
この地に移築されました。
関係資料も寄贈され、それらは向かいの霊宝殿に収納展示されています。
関係資料も寄贈され、それらは向かいの霊宝殿に収納展示されています。
また、霊宝殿の右横には与謝野寛・晶子の歌碑が建てられています。
左・与謝野寛(鉄幹)「遮那王(しゃなおう)が 背比べ石を山に見て
左・与謝野寛(鉄幹)「遮那王(しゃなおう)が 背比べ石を山に見て
わがこころなほ明日を待つかな」
右・与謝野晶子「何となく 君にまたるるここちして いでし花野の夕月夜かな」
右・与謝野晶子「何となく 君にまたるるここちして いでし花野の夕月夜かな」
霊宝殿は、一階が自然科学博物苑展示室、二階が寺宝展観室と与謝野寛・晶子の
記念室、三階が仏像奉安室になっています。
仏像奉安室の正面に、国宝の毘沙門天立像(平安時代・大治2年(1127)作)が
仏像奉安室の正面に、国宝の毘沙門天立像(平安時代・大治2年(1127)作)が
安置され、吉祥天と善膩師童子(ぜんにしどうじ・国宝)を脇侍としています。
毘沙門天の右側に重文の聖観音立像(鎌倉時代・嘉禄2年(1226)2月の銘)が
安置されています。
左コーナーには、倒れてしまった大杉権現社の杉の木の一部が展示されています。
左壁側には、重文の兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん・平安時代後期)、
左コーナーには、倒れてしまった大杉権現社の杉の木の一部が展示されています。
左壁側には、重文の兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん・平安時代後期)、
鎌倉時代の毘沙門天像三体が安置されています。
霊宝殿から参道を下っていくと、新しく整備されたように見える山手への
石段があります。
それを上っていくと石塔とその奥に鐘楼があります。
鐘楼には、共鳴のためか床に甕(かめ)が埋められています。
鐘楼の横に八所明神が祀られています。
八所明神は、宮中賢所(かしこどころ)の祭神である八神
八所明神は、宮中賢所(かしこどころ)の祭神である八神
(神産日神、高御産日神、玉積産日神、生産日神、足産日神、大宮賣神、
御食津神、事代主神)を迎えて祀ったと云われています。
鞍馬の火祭り(10月22日)には、由岐明神と八所明神の二基の神輿が渡御します。
鞍馬の火祭り(10月22日)には、由岐明神と八所明神の二基の神輿が渡御します。
八所明神の奥に経塚の石塔と石仏があります。
鞍馬寺の経塚から、平安時代~鎌倉時代の遺物約200点が発見され
鞍馬寺の経塚から、平安時代~鎌倉時代の遺物約200点が発見され
国宝に指定されました。
その一部は霊宝殿に展示されています。
その一部は霊宝殿に展示されています。
鞍馬寺の本殿へ向かいます。
続く