西院へと入った左側に毘沙門堂があります。
毘沙門堂は、文政5年(1822)に建立され、創建1200年記念事業で
毘沙門堂は、文政5年(1822)に建立され、創建1200年記念事業で
(とばつびしゃもんてん)立像を本尊としていました。
羅城門は弘仁7年(816)に大風で倒壊し、その後再建されましたが
羅城門は弘仁7年(816)に大風で倒壊し、その後再建されましたが
天元3年(980)の暴風雨で再び倒壊し、以降再建されることはありませんでした。
羅城門が倒壊した後、毘沙門天像は東寺に遷され、
羅城門が倒壊した後、毘沙門天像は東寺に遷され、
当初は食堂(じきどう)に安置され、毘沙門堂の建立後は毘沙門堂に遷され、
現在は国宝に指定され、宝物館に安置されています。
毘沙門堂の横に宝篋印塔、尊勝陀羅尼の碑、宝塔などが並んでいます。
尊勝陀羅尼とは、仏頂尊勝の功徳を説いた陀羅尼で八七句から成り、
これを唱えまたは書写すれば、悪を清め長寿快楽を得、
自他を極楽往生させるなどの功徳があるとされています。
陀羅尼とは、サンスクリット語原文を漢字で音写したものを各国語で音読して
陀羅尼とは、サンスクリット語原文を漢字で音写したものを各国語で音読して
唱えるもので、本来の意味は仏教修行者が覚えるべき教えや作法などを指します。
やがて「暗記されるべき呪文」と解釈される様になり、一定の形式を満たす
やがて「暗記されるべき呪文」と解釈される様になり、一定の形式を満たす
呪文を特に陀羅尼と呼ぶ様になりました。
本来、陀羅尼は暗記して繰り返し唱える事で雑念を払い、
本来、陀羅尼は暗記して繰り返し唱える事で雑念を払い、
無念無想の境地に至る事を目的としたものです。
亀のように見えるのは、中国の伝説上の動物・贔屓(ひいき)で、
亀のように見えるのは、中国の伝説上の動物・贔屓(ひいき)で、
竜の子とされ、重いものを背負うのを好むとされています。
甲羅に建つ石塔は永遠不滅とされ、古来より石碑や墓石の土台に
甲羅に建つ石塔は永遠不滅とされ、古来より石碑や墓石の土台に
用いられてきました。
石碑の周囲を回りながら贔屓の頭や手足などを撫でて、自分の患部をさすると
石碑の周囲を回りながら贔屓の頭や手足などを撫でて、自分の患部をさすると
万病に効果があると信仰されいます。
贔屓は、自分の気に入った者に対して肩入れし、
贔屓は、自分の気に入った者に対して肩入れし、
援助する意味で使われる語源になっています。
この碑はかって、北野天満宮の宗像社の傍らに嘉永6年(1853)、
この碑はかって、北野天満宮の宗像社の傍らに嘉永6年(1853)、
比叡山の僧・願海によって建てられたのですが慶応4年(1868)の
神仏分離令により現在地に移されました。
願海は、文政6年(1823)に群馬県高崎市で生まれ、
願海は、文政6年(1823)に群馬県高崎市で生まれ、
21歳の時に比叡山へ上って千日回峰を発願し、
嘉永6年(1853)31歳で千日回峰行を満行しました。
宝塔には小さな弘法大師像が安置されています。
宝塔の横に「天降石」があり、天から降りてきて、
古くからこの地にあったと伝わります。
江戸時代には「護法石(五宝石」或いは「不動石」と呼ばれていたのが、
江戸時代には「護法石(五宝石」或いは「不動石」と呼ばれていたのが、
いつの頃からか天降石と呼ばれるようになりました。
石を撫でた手で体の悪い箇所をさすると治ると信仰され、
石を撫でた手で体の悪い箇所をさすると治ると信仰され、
撫石(なでいし)とも呼ばれます。
「天降石」の右側に高野山遥拝所があります。
弘法大師は、東寺を真言宗の根本道場、高野山を修禅道場と定められました。
遥拝所の先、突き当りにある建物には駒札等が無く、不明です。
その横の建物には「加行道場」の表札があります。
御影堂への唐門が開けられ、6時から一の膳、二の膳、お茶が供えられます。
6:20と7:20には弘法大師が唐より持ち帰った仏舎利を
6:20と7:20には弘法大師が唐より持ち帰った仏舎利を
頭と両手に授ける「お舎利さん」が行われます。
大黒堂には、弘法大師作と伝わる大黒天・毘沙門天・弁財天が合体した
三面大黒天像が安置されています。
大黒堂の北端には不動明王が祀られています。
大黒堂の北側に進んだ先に鐘楼があります。
最初の鐘楼は、南北朝時代の正平3年(1348)に建立され、
最初の鐘楼は、南北朝時代の正平3年(1348)に建立され、
梵鐘は足利尊氏によって寄進されました。
現在の梵鐘はその複製です。
現在の梵鐘はその複製です。
鐘楼の左奥には一切経蔵があります。
御影堂の北側に平成12年(2000)に再建された大日堂があります。
元は、江戸時代の元禄10年(1697)に御影堂の礼拝堂として建立され、
元は、江戸時代の元禄10年(1697)に御影堂の礼拝堂として建立され、
西院は御影堂を囲むようにお堂が配置されています。
御影堂(西院御影堂)は大師堂とも呼ばれ、かって空海が居住していました。
南北朝時代の天授6年(1380)に建立され、応永2年(1395)に前堂、
御影堂(西院御影堂)は大師堂とも呼ばれ、かって空海が居住していました。
南北朝時代の天授6年(1380)に建立され、応永2年(1395)に前堂、
中門が増築され、もとある後堂(うしろどう)の三つの建物で構成されています。
御影堂の南面にある国宝・不動明王像は、工事中でも拝むことができますが、
像は弘法大師が自ら刻んだ念持仏で秘仏とされています。
工事は平成31年(2019)12月まで行われます。
金堂から講堂そして五重塔へ向かいます。
続く
続く