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大江神社~勝鬘院(しょうまんいん)

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清水寺から谷町筋に戻り、北上して星光学院を通り過ぎた所を
左に曲がった突き当りに大江神社があります。
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大江神社の横は「愛染坂」と呼ばれる結構急な下りの石段になっています。
この石段は101段あり、健康と長寿を祈って「百歳(ももとせ)の階段」と
名付けられています。
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社頭には「夕陽岡」と刻まれた石碑が置かれています。
かって、この台地のすぐそばまで海がせまり、夕日が沈む際、
茜色に染まる空の美しさにいつしか「夕陽ヶ丘」と呼ばれるようになった
と伝わります。
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大江神社は、四天王寺の鎮守社である四天王寺七宮の一つとして、
聖徳太子が祀られていたと伝わります。
その後、天王寺北村の産土神(うぶすながみ)として、
豊受大神を祭祀するようになりました。
いつの頃よりか、乾の社と称して四天王寺の所管となり、境内には神宮寺が
建立され、毘沙門天が祀られるようになりました。
明治の神仏分離令により、慶応3年(1867)に現在の社名に改称されました。
社地が大江岸(おおえのきし)に続いていたことから大江神社となりました。
明治40年(1907)、近郊の素戔嗚尊を祭神とする土塔神社、
欽明天皇を祭神とし相殿に大己貴命、少彦名命を祀る上之宮神社、
応神天皇を祭神とする男山八幡神社が合祀されました。
また、翌年には素戔嗚尊を祭神とする小儀神社が合祀されました。
第二次世界大戦で絵馬堂と神器庫を残しすべて焼失しましたが、
昭和38年(1963)に本殿及び拝殿が復興されました。
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拝殿の正面に鳥居が建っています。
現在は、鳥居の先で参道は途切れていますが、
かってはここが入口だったと思われます。
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焼け残った絵馬堂でしょうか? 立入はできないようです。
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境内社の日吉稲荷神社
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境内の奥には、毘沙門天を守護する狛虎が鎮座しています。
神仏が分離された際、「吽形」が滋賀に移されました。
平成15年に地元有志によって「吽形」の狛虎が製作されたところ、
翌年阪神タイガースが優勝しました。
それ以来、大江神社は阪神タイガースファンの聖地の一つに数えられています。
現在、平成15年に同時に製作された「阿形」とともに、聖地を守護しています。
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大江神社を出た所に勝鬘院(しょうまんいん)があります。
勝鬘院は、四天王寺の施薬院として推古天皇元年(593)に聖徳太子によって
創建されました。
本堂には、勝鬘夫人坐像が安置され、聖徳太子が人々に勝鬘経を講ぜられたため、
勝鬘院と称するようになりました。
また、金堂に本尊である愛染明王が祀られていることから愛染堂とも
呼ばれています。
西国愛染十七霊場・第1番、聖徳太子霊跡・第29番の札所になっています。
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参道を進むと藥医門があります。
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門を入った左側に大力金剛尊(だいりきこんごうそん)が祀られています。
この像は、清王朝時代のもので、大正時代に活躍した大阪市天王寺区出身の
横綱(第26代)大錦が、満州巡業の折に自身の守護神として気に入って
中国から持ち帰り、初めは大阪国技館に奉安されていましたが、
昭和25年に愛染堂に遷されました。
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門の右側には七福神が祀られています。
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七福神の先に「愛染かつら」の木があります。
樹齢数百年といわれる巨大な桂の木に、ノウゼンカズラのツルが巻き付き、
桂とカズラが一体となったもので、恋愛成就・夫婦和合の霊木として
信仰されています。
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手水舎は、「愛染の霊水」と呼ばれ、常に清浄な霊水が湧き出ています。
この水を飲めば、愛敬を授かり、さらには開運、夫婦和合、良縁成就・安産、
出世、商売繁盛、などの功徳があるとされています。
また、この水で染め物をすると色よく染まると伝えられています。
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手水舎から左奥に進んだ所に、如来塔があり、身代わり観音と身代り地蔵が
並んで祀られています。
継承者がいなくなった墓石が集められ、祀られています。
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如来塔の前方に「腰痛封じの石」があります。
背もたれの突起に背骨のツボを当てながら呼吸をすれば、
腰痛封じに効果があるとされていますが、今のところ
腰痛には困っていませんので試していません。
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金堂の前、両側には慈母観音と慈父地蔵が祀られています。
金堂は境内の中央に位置し、推古天皇元年(593)に聖徳太子によって
施薬院が創建された時に建立されました。
その後の変遷は不明ですが、織田信長による石山本願寺攻めによって焼失し、
徳川二代将軍・秀忠によって再建されました。
金堂は、大阪府の文化財に指定されています。
本尊は愛染明王で、その左右には、薬師如来、勝鬘夫人(弁財天)、
歓喜天、十一面観音などが安置されています。
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金堂の裏側に多宝塔があり、大阪市最古の木造建造物として
国の重要文化財に指定されています。
多宝塔も施薬院の創建時に建立されましたが、石山本願寺攻めで焼失し、
慶長2年(1597)に豊臣秀吉により再建されました。
多宝塔の蛙股(かえるまた)には、十二支の彫刻が施されています。
多宝塔の本尊は、大日大勝金剛尊で、大阪府の文化財に指定されています。
大日大勝金剛尊は秘仏で、毎年6月30日の愛染まつり初日に開扉されます。
大日大勝金剛尊の周りには、仏教の守護神である十二天の壁画と
柱絵が納められています。

谷町筋を北上し、生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)へ向かいます。
続く

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