神積寺
福崎駅から市川の堤防を北上し、月見橋を渡ります。市川は兵庫県のほぼ中央を北から南へ流れ、今は川の流れは穏やかで、水鳥が浮かんでいます。柳田國男は回想記『故郷七十年』に、この川のどこかの淵に河童が住んでいたとの伝承が残されていると記しています。 国道312号線を少し南下して、長門歯科医院を斜めに東南方向に進み、...
View Article柳田國男生家と辻川山公園
石造りの五重塔から徒歩約10分で柳田國男の生家に着きます。 柳田國男は明治8年(1875)7月31日に儒者で医者の松岡操、たけの男ばかりの8人兄弟の六男として誕生しました。 生家は狭く「私の家は日本一小さい家だ」と言ったと伝わりますが、明治17年(1884)に...
View Article神呪寺(かんのうじ)
京都駅7:31発の快速・姫路行に乗車し、8:19に西宮駅に到着し、阪神バスの鷲林寺(じゅうりんじ)甲山方面行に乗り換え、甲山大師まで乗車しました。 バス停から少し戻り、下った所に山門があります。 神呪寺の創建当初は250町歩の境内地を有していたそうですが、現在は20町歩に縮小し、山門からの参道も車道が横切っています。...
View Article廣田神社
神呪寺からスマホの地図アプリを頼りに下ってくると、広田山公園の遊歩道へ出てきました。 更に進むと「御神水」と記された霊泉があります。 「御神水」から少し進むと参道が拝殿へ一直線に伸びています。拝殿への石段を上った所に「由緒碑」が建っています。 廣田神社の創建当初の仔細は『日本書紀』に記されています。...
View Article東光寺
廣田神社から旧西国街道を進みます。しばらく進むと江戸時代の文久2年(1862)に再建され「日本三躰 厄神明神」と刻字された道標があります。三大厄神とは、門戸厄神東光寺、石清水八幡宮、和歌山の丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)を指します。第52代・嵯峨天皇が41歳の厄年に当たる天長6年(829)に、愛染明王と不動明王が一体となって厄神明王となり、あらゆる厄を打ち払うという霊感を得ました。...
View ArticleJR兵庫駅の周辺
14:12にJR兵庫駅に着くと、駅前の通りは柳原蛭子神社の十日えびす大祭で、神社までの道路は歩行者専用になり、露店が軒を連ねています。幸いにも雨は上がり、人の流れに添ってゆっくりと進み、蛭子神社前に到着しました。西側に福海寺が隣接していて、蛭子神社との間の通りは旧西国街道の兵庫津の西の出入り口でした。...
View Article能福寺
能福寺は山号を宝積山と号する天台宗の寺院で、薬師如来を本尊とし、新西国三十三所観音霊場・第23番札所でもあります。門を入ると正面に兵庫大仏が坐しています。 この像は二代目で、初代は明治24年(1891)に豪商・南条荘兵衛の寄進により建立されました。 戦前までは東大寺、鎌倉大仏と並び日本三大大仏と称されましたが、戦中の金属回収令により解体され供出されました。...
View Article大輪田泊周辺
能福寺から北側にある信号まで戻り、信号を右折して東へと進んだ所に「札場の辻」跡があります。 この地はかって、兵庫の中心地であったことから幕府の布達等を掲示する「高札場」が設けられていました。 俗に「札の辻」、「札場の辻」とも呼ばれていましたが、新政府になると「太政官」と名を変え慶応4年(1868)まで設置されていました。「札場の辻」跡から東へ進んだ突き当りに巨石が置かれています。...
View Article真光寺
清盛塚から少し北へと進んだ所に真光寺があり、門前には「一遍上人示寂之地」と刻まれた石碑が建立されています。 真光寺は山号を西月山と号する時宗の寺院です。 時宗(じしゅう)は一遍上人を開祖とし、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派で、神奈川県藤沢市の清浄光寺(通称遊行寺)を総本山としています。 門を入ると明治29(1896)9月に建てられた「大壇林」の石碑が目に留まります。...
View Article即成院(そくじょういん)
京阪東福寺駅から東大路通に出て泉涌寺道を上って行くと、泉涌寺の総門の手前に即成院があります。 即成院は平安時代の正暦3年(992)恵心僧都源信によって建立された光明院が始まりと伝わります。橘俊綱は関白・太政大臣を務めた藤原頼通の次男として生まれたのですが、讃岐守・橘俊遠の養子となりました。...
View Article雲龍院
山門雲龍院は泉涌寺本坊の南高所に位置し、山号を瑠璃山、本尊を薬師如来とする真言宗泉涌寺派の寺院です。 本尊はまた、西国薬師霊場の第40番札所本尊でもあります。 泉涌寺の塔頭で、他の塔頭と同様に泉涌寺山内にありながら、勅願の寺院で皇室との縁の深さから、別格本山という高い寺格が与えられています。...
View Article青龍寺
東大路通から高台寺へ参道を東へ進むと、高台寺の山門があります。高台寺の山門の東南側に青龍寺があります。 青龍寺は山号を見性山(けんしょうざん)と号する浄土宗鎮西派の寺院です。 延暦8年(789)、第50代・桓武天皇の勅命により長岡京近郊の乙訓郡にある小塩山に創建された大宝寺が始まりとされています。...
View Article高台寺周辺
青龍寺から少し東へと進んだ所に高台寺の公衆トイレがあり、その向かいに高台寺塔頭の春光院があります。 春光院は豊臣秀吉の正室である北の政所の甥で、木下家定の嫡男であった木下勝俊によって創建されました。茅葺の山門前には「東山路傍の触れ仏」と称された摩利支天の石仏が祀られています。...
View Article雙林寺
雙林寺(そうりんじ)は延暦24年(805)に桓武天皇の勅願により最澄が創建したのが始まりと伝えられています。 最澄が唐から帰朝後、宮中で我が国初の護摩供を奉修し、請来された天台密教経疏(きょうしょ)500巻及び護摩の器具を桓武天皇に献上されました。 天皇の勅願によりこの地に伽藍が建立され、日本初の護摩祈祷道場とされました。...
View Article大谷祖廟
雙林寺から東へ進んだ所に大谷祖廟の総門があります。 平成22年(2010)、「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌」の記念事業として、本堂と総門の修復が行われ、総門の屋根内部より「文久二年壬戌歳 二月廿日上棟 四脚御門建立」と記された棟札が発見されました。...
View Article長楽寺
大谷祖廟から更に東へ進んだ所に長楽寺があります。 円山公園の南横を通り過ぎた所ですが、ここまで訪ねてくる人は少なく、時は自分の歩みと共に流れていくようです。灯篭が建ち並ぶ参道を進みます。 三門をくぐります。 三門の先に庫裡があり、受付で入山料を納めます。庫裡の先に客殿があります。庭園は相阿弥の作と伝わります。...
View Article円山公園
長楽寺から下ってくると、円山公園の南東方向に坂本竜馬と中岡慎太郎の像が建立されています。 昭和11年(1936)に京都高知県人会の有志によって2人の銅像が造られましたが、第二次大戦中に撤去され、昭和37年(1962)に再建されました。 因みに2人の墓所は共に付近の京都霊山護国神社にあります。円山公園のシンボルともいえる枝垂桜は、一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)が正式名になります。...
View Article八坂神社
円山公園の南西側に祇園祭の山鉾の収蔵庫があります。収蔵庫から八坂神社の境内へと入った左側に末社の稲荷神社があり、下方に玉光稲荷社、上部に命婦稲荷社があります。 命婦稲荷社は玉光稲荷社の権殿(=社殿を造営・修理する間、神体を仮に奉安する場所)であり、二社で一体とされています。 右側には御神水が湧き出ています。...
View Article城南宮
国道1号線と名神高速道路が交差する南側の四つ角の南東に城南宮があり、神仏霊場・第83番札所となっています。 城南宮は延暦13年(794)の平安京遷都に際し、都の安泰と国の守護を願い創建されたと伝わります。 王城の南に位置することから城南宮の名が付いたとされています。 かって、この地は鴨川に臨む水郷地であり、一方で深い森が拡がり、貴族達が狩猟や遊興を行う風光明媚な地でした。...
View Article北向不動院
城南宮の東から出て、新城南宮通を東へ進み、阪神高速京都線を超えた北側に北向不動院があります。 山号を「北向山」と号し、元は延暦寺の末寺でしたが、現在は天台宗の単立寺院です。 大治5年(1130)、鳥羽上皇の勅願により興教大師を開山として、鳥羽離宮内に創建されました。 大師自らが仏師・康助に不動尊像を刻ませ、王城鎮護のため北向きに安置したことから、上皇から「北向不動院」の名を賜ったと伝わります。...
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